冤罪の原点「免田事件」が私たちに問うもの 本人が死去しても晴れない「冤」を雪ぐために

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「水俣病が起きて差別が起きたのではなく、差別のあるところに水俣病が起きた」

 これは、水俣病問題と50年にわたって向き合い続けた原田正純医師の言葉である。人を人として思わなくなったところに水俣病が起きた、というのであるが、その伝で言えば、人を人と思わなくなったところに免田事件が起きた、ということでもある。

 それは他ならぬ免田さんから教えられたことであった。2013年、米寿のお祝いの会を熊本市のホテルで開いたのだが、その時、免田さんがこう言ったのだった。

 「再審は人間の復活なんです」

 長年、免田事件の取材を続けてきたのだが、このことに気付くのが遅れてしまったというのが正直な感想だ。免田事件しかり、水俣病しかり、ハンセン病しかり、強制不妊しかり。ここには「人として扱われなかった」、「戦後憲法の傘の中になかった」、こういう人たちの存在があったのである。

 免田さんは2020年12月5日、95歳で死去、玉枝さんも2024年10月18日、88歳で死去した。免田事件資料保存委員会をつくった後、『生き直す 免田栄という軌跡』(弦書房)、『検証・免田事件〔資料集〕』(現代人文社)を出版したが、新たな資料集を出版すべく今、作業を進めている。

免田栄さんの米寿お祝いの会。右は妻の玉枝さん(2013年10月25日、熊本市。写真/免田事件資料保存委員会)

私たちの手元には、免田さんが獄中で読んだ1100冊の本がある。どんな時期にどんな本を読んだのか。「死刑囚の読書日記」とでも呼ぶべき例のない解読作業はもう少し続きそうだ。加えて新しい資料も出てきた。

 私たちは司法の役割を否定するものではない。しかし、間違うことがある。それはいくつもの事例が教えていることだ。

再審制度をめぐってようやく国会議員の間で改正に向けた具体的な動きが出てきた。戦後80年を迎えるが、刑事訴訟法の再審の条項だけがほぼ戦前のまま残されている。確定死刑囚が5人も無罪になるという事態を放置していいはずがない。しかもそれ以外にも少なくない冤罪被害者がいる。

私たちは昨年、一昨年と熊本大学で免田事件をめぐる集会を開いたのだが、この会場に事件の現地、熊本県人吉・球磨地域から来た人が挙手をして「今でも免田が犯人と思っています」と語った。しかもこの声は2年続けて上がった。冤罪は死んでも晴れない。冤を雪(すす)ぐことの困難さがここにはあった。

一方で、希望の種はある、とも思うのだ。免田事件でも、死刑判決の間違いに気づいた裁判官は前記したようにいた。袴田事件でも一審段階で無罪の心証をとった裁判官はいたのである。その「目」をどうやって多数の「目」にするのか。それは私たちが問われていることである。

34年に及ぶ獄中生活の中で免田さんが読んでいた本の一部(写真/免田事件資料保存委員会)
高峰 武 元熊本日日新聞記者・熊本学園大学特命教授

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

たかみね・たけし

1952年熊本県生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒。1976年、熊本日日新聞社入社。社会部長、編集局長、論説委員長、論説主幹。2020年から熊本学園大学特命教授。著書・共著に『ルポ 精神医療』(日本評論社)、『完全版 検証・免田事件』(現代人文社)、『検証 ハンセン病史』(河出書房新社)、『水俣病を知っていますか』(岩波ブックレット)、『熊本地震2016の記録』、『8のテーマで読む水俣病』(以上、弦書房)

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事