冤罪の原点「免田事件」が私たちに問うもの 本人が死去しても晴れない「冤」を雪ぐために

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免田事件とは何か。その答えは免田さん自身の言葉の中にあったのだが、それに気付くまでには長い時間が必要だった。

まずは最初の問題意識。言葉で言えば、司法上の免田事件、と言うこともできようか。

なぜ、捜査が誤ったのか。ここにあったのは、①見込み捜査、②自白の強要、③物証の軽視――だ。怪しいと警察が思った者を引っ張ってくる。そしてシナリオに沿った自白を強要する。免田さんによれば、一番最初の手書きの自白は警察官が手を添えて書かせたもの。「メンタサカイ」と署名が片仮名になっているのはそのためという。

物証の軽視では、再審判決が「古色蒼然たる物的証拠」として無罪の柱にしたのは第一審からあった物証と3次再審での未開示記録などだった。免田さんはよく言っていたものだ。「一人の警察官の仕事は最高裁判決に類する」と。 

次は、なぜ34年間も間違いが正されなかったか、である。

実は間違いに気付いた裁判官はいたのである。1956年、3回目の再審請求を受けた熊本地裁八代支部の西辻孝吉裁判長は、独自の調べも行い、免田さんのアリバイを認定して再審開始を言い渡した。しかし福岡高裁がこれを取り消す。「裁判の安定」を壊すというのがその理由だった。

「間違っていたら正す」

誰のための「裁判の安定」か。それまで「開かずの門」とも言われた再審の扉が開くのは、1975年の最高裁の「白鳥決定」まで待たねばならなかった(「白鳥決定」とは、証拠の総合評価と「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が再審にも適用されるとし、再審開始の要件を柔軟にする判断を明示したもの)。

実は、免田さんの再審開始決定を出した西辻裁判長と「白鳥決定」を主導した団藤重光・元最高裁判事が私の取材に同じ言葉を語っている。「もし間違っていたならそれを正すのが司法の信頼をつくることになる」。しかしこの言葉は果たして今の司法の世界で多数派になっているのかどうか。

免田さんは裁判記録を書き写しながら言葉の勉強もしていた(写真/免田事件資料保存委員会)

社会の側の問題もある。免田さんは無罪判決後、2つの行動を起こす。

一つは自分の再審無罪判決に再審を申し立てた。異例のことだ。趣旨は、再審法をめぐる不備を指摘するものだった。

 もう一つは、自分に“人並みの年金”がないのはなぜか、と問い続けたことだ。年金は事前納付制で国民にはあまねく周知したというのが国の説明だったが、死刑囚だった免田さんには年金制度の説明を受けた記憶はない。

2013年、死刑囚で再審無罪になった人に国民年金が払われる特例法がようやくできたのだが、これとて社会の側が動いた結果ではなかった。

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