中居さん引退で続出「番組サイトの削除」の違和感 オールドメディア批判加速、業界の倫理観が議論に
しかしながら、急転直下で打ち切りが決まり、ぼうぜんとしている人も多いはずだ。そこへ来てのサイト削除は、関係者の功績どころか、「番組があった事実」すら抹消しているように感じさせる。
放送局の判断だとはいえ、この末路は、あまりにも誠実さに欠けているのではないか。疑惑への対応に気を奪われすぎたあまり、関係者への配慮も不足しているとなっては、「テレビ業界内のテレビ離れ」も加速していく可能性がある。
芸能事務所からしてみれば、大事なタレントが雑に扱われていると感じないだろうか。制作会社もスタッフの企画力を邪険にされていると思わないか。
もし多少なりとも違和感が残るのなら、今回の疑惑で問われている「仕事をもらっているから言えない状況」が再生産されてもおかしくない。考えすぎかもしれないが、そうした「ギョーカイ的な構造」を凝縮した結果が、サイト削除に現れている気がするのだ。
放送局が持つ強い権限がチラつく
近年、芸能人の不祥事をめぐって、「作品に罪はない」という言葉が話題になりがちだ。映画やドラマで用いられることが多いが、バラエティー番組においても、その視点から評価する視聴者は増えつつある。
「番組に罪をなすりつけて、闇に葬ろうとしている」ように見える対応は得策ではない。
そして、その背後にチラつくのが、放送局が持つ強い権限だ。ネットメディアが隆盛になっても、いまなおテレビの持つ影響力は計り知れない。そして、テレビ局側もそれに気づいており、だからこそ強気かつ保身的な姿勢に出るのではないか。
公式サイトの削除も、その延長線にあると筆者は考えている。生殺与奪の権はテレビ局が握っており、多くの関係者は、その意向に従わなければならない。そこから透けて見えるのは、「テレビに出してやる」的な尊大さなのではないか。
芸能人や番組スタッフは、仕事をもらっている立場ゆえに、強く言えないかもしれないが、視聴者はそうではない。少しでも「上から目線」を感じさせれば、すぐ拒否反応を示す。
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