死後に名を残したいと願う人が見えていない盲点 根拠もなく、よい状況を前提にしていないか?

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死が怖い人へ
死後の世界があってほしいと願うのは、根拠もなくよい状況を前提にしている楽観主義なのである(写真:おでんじん/PIXTA)
医者として多くの患者を看取ってきた医師兼作家の久坂部羊さんは、死後の世界を空想してみたことがあるそうです。新刊『死が怖い人へ』から抜粋するかたちで、そのリアルなシミュレーションをご紹介します。

リアルに死後の世界を空想すれば

あるとき、私は東京のホテルで、風呂上がりにFMラジオのピアノ曲を聴きながら、ソファに座って目を閉じていた。あまりに気持ちがいいので、もしもこれが死後の世界だったらどうだろうと空想してみた。

私はもう死んでいる――。

しかし、暗闇の中に意識がある。死は無というわけではなかったと気づき、まずは喜ぶ。霊魂か何かは知らないが、こうして私の意識は残っている。自由で快適で何の束縛もない。今、私は死後の世界にいる。さて、何をしようか。

肉体がないので、考えることしかできない。それならまず、人生を振り返ってみようか。

あんなことがあった、こんなこともあった、楽しかった、嬉しかった、面白かった、ありがたかった。具体的にいろいろ思い出すが、1時間もすれば思い出も尽きてしまう。

あれこれ思い出すうちに、同じことばかり考えたり、そのうち腹の立つことも思い出されてムカつき、恥ずかしいこと、惨めなことなども思い浮かんで、気分が悪くなりかける。

だったら、先に亡くなった人に会おうか。両親、祖父母、幼なじみ、友だち、知人、先輩――。

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