死後に名を残したいと願う人が見えていない盲点 根拠もなく、よい状況を前提にしていないか?
もう会えないと思っていた両親などと再会すると、思わず涙するほどの喜びに満たされる。父や母も喜び、互いに積もる話も尽きないかと思いきや、3日もいっしょにいれば、たぶん話すこともなくなり、再会の感動も薄れる。母からは生前の行いに小言を言われたり、父とは意見が合わずに互いに気まずくなったりして、少し離れたくなる。
ほかの連中も同じで、巡り合ったときは喜ぶが、いつでも会えるとなると、ありがたみも減ってしまう。
イヤなヤツとも会うことに
そのうち、イヤなヤツも出てくる。会いたくないヤツ、借りのあるヤツ、不義理をした相手、いじめた相手、騙した相手、さらには、私を袖にした女、私を騙した男、私を陥れたヤツ、私から小銭を脅し取った不良、しょっちゅう私を泣かせたいじめっ子等々。
イヤなことを言われたり、謝罪と賠償を求められたり、悪口を言われたり、からかわれたり、嘲笑されたりする。そんなつもりじゃなかった、悪かった、許してくれ、そんなふうに思っていたのか、もうやめてくれ、お願いだから消えてくれ。
そんなヤツらは無視して、もっと面白い相手をさがしてみよう。たとえば、有名人や歴史上の人物、一度話を聞いてみたいと思っていた相手に巡り合えれば、きっと面白いだろう。
しかし、歴史上の人物などは当然、先方は私を知らないから、話しかけたりすると、無視されるか、迷惑がられるに決まっている。都合よく話し相手になってくれるとしたら、今度は自分も見知らぬ人から話しかけられたときには、相手をしなければならない。それは面倒だし、迷惑でもある。
ほかに何かすることはないかと考えるが、魂だけの存在ではすることも限られる。世界中の好きなところへ行けるとしても(エベレストの山頂とか、イグアスの滝を裏から見るとか)、楽に行ける分、へえ、こんなものかと大して感動もしないだろう。
霊魂なら何でもできるとして、仮に大谷翔平選手や藤井聡太竜王の背後霊になっても、どうということもないだろうし、ましてや人の寝室をのぞくとか、女性風呂に潜入するなど下世話なことをしても、きっとすぐに飽きてしまう。
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