死後に名を残したいと願う人が見えていない盲点 根拠もなく、よい状況を前提にしていないか?
ナチスの収容所で虐殺された約600万人のユダヤ人と、ヒトラーをはじめとするナチス幹部たちは、死後の世界では和解しているのか(だとすれば、ナチス幹部の罪はお咎めなしということになる)。
死後の世界が永遠にあって、それでも退屈しないと言うのなら、それはほとんど意識がないのと同じで、心地よさだけは感じるけれど、不快や退屈は感じないというのであれば、やはり都合がよすぎると言わざるを得ない。
理想としては、死んだら先に亡くなった親しい人と再会ができ、しばらくの間、快適に過ごして、生前の罪や過ちも許され、自分が親しみを感じる子孫の行く末を見守ることができ、危険や不運や悪から遠ざけてやり、幸運を授けてやり、幸せに生きられるよう導く存在であり、それが500年、1000年と続くのではなく、十分に満足したら、適当な時期に静かに消え去ってしまえるような死後の世界であってほしいということか。
あるいは神か仏か未知のエネルギーが、すべての問題を解決してくれるので、思い煩う必要はないのか。
やはり、都合がいいとしか言いようがない。
死後に名を残す意味
私自身は現世をよりよく生きることを重視するのみで、死後に続く世界のことにはほとんど興味がない。
しかし、世の中には自分の名を後世に残したいと願う人もいるようで(特にいわゆるエライ人)、自らの名前を冠した基金を設けてみたり、寄付したホールや記念館に自分の名前をつけたりしている。
死後に他人が名づけるのならまだしも、自分で名前を冠している人などを見ると、後々、恥ずかしくならないのかなと、他人事ながら心配になる。
あるとき、私は同級生の医者から、「おまえは作品が残るからいいな」と言われて戸惑った。彼が言うには、「本を読んだ人がおまえのことを知ってくれるだろ。それは生きた証になるじゃないか」とのこと。そして、こう続けた。
「ボクは死んだら何も残らない。死後、ボクのことを思ってくれるのは家族だけで、よくて孫か曾孫までで、そのあとはだれもボクのことを知らない。何の痕跡も残さず、この世から完全に消え去ってしまうんだ」
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