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死後に名を残したいと願う人が見えていない盲点 根拠もなく、よい状況を前提にしていないか?

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淋しそうに言うから、「俺だって同じだよ。作品が残ると言ったって、せいぜい10年か20年で、そのあとは書店はおろか、図書館の書架からさえも消えて、倉庫に積まれるか廃棄されるかがオチだよ」と応えた。

残っていても本人たちには何もわからない

実際、20年前に亡くなった作家の本で、今も書店に並ぶ作品はどれだけあるだろう。ネット通販があるから、もう少しこの世に存在できるかもしれないが、50年もたてばそれこそ完全に忘れ去られるだろう。

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つまりは多少長く残るとしても、完全に消え去るということでは同じだ。もしも、自分の作品が後世に名を残すことにつながるなどと考えている人がいれば、その人の考えはスパンが短すぎるとしか言いようがない。

いや、紫式部の名は1000年後の今も残っているし、もっと前の聖徳太子や神武天皇だって、名前が残っているじゃないかと言う人もいるだろう。しかし、本人たちには何もわからないから、残っていても意味がない。

百歩譲って死後に魂が残るとして、現代の状況を察知できるとしても、はたして喜べるだろうか。

死後に名前を残したがる人のイメージとしては、魂として天から地上を眺め、ああ、オレの作品に感動しているヤツがいるとか、オレの偉業に感心しているとか、伝記を読んで憧れたり、オレみたいな人間になりたいと願ったりする子どもがいるなと確認して、満足感にひたることだろう。

しかし、後世の人間は必ずしも思い通りには反応してくれない。作品を貶したり、意味不明と投げ出したり、廃棄処分にしたりするのはまだいいほうだ。バカにしたり、強欲を嗤ったり、虚栄心を軽蔑したりして、あの世から呪ってやりたくなるような態度をとるかもしれない。

紫式部や聖徳太子にしても、もし魂が残っていたら、わたしはそんな人間じゃない、その解釈はまちがっている、誤解もはなはだしい、ほとんど捏造だと、怒ったり嘆いたりするのではないか。

ゴッホやモディリアーニや青木繁は、今、絵がこれほど高額で取引されるのなら、なぜ生前にもっと評価してくれなかったんだ、今ごろ高値をつけても遅いと、地団駄を踏むだろう。

ほかの歴史上の人物だって、後世の勝手な解釈やまちがった意味づけ、事実の曲解に苛立ち、嘆き、呆れるばかりにちがいない。

つまりは、消えてなくなるのがもっとも安らかということで、名を残したいとか、死後の世界があってほしいと願うのは、根拠もなくよい状況を前提にしている楽観主義なのである。

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