経済成長至上主義を今こそ再考すべきだ--ケネス・ロゴフ ハーバード大学教授
経済成長を目指すのは威信と安全保障のため
ほかのリスクや配慮を無視してまでも、長期的な平均所得の伸びを永遠に最大にすることには、一種のばかばかしさがある。
単純な思考実験をしてみよう。1人当たりの国民所得(または幸福についての何らかの広範な尺度)が今後200年に毎年1%増加する見込みだとしよう。この数字はここ数年の先進国における趨勢的な1人当たりの伸び率におおよそ相当する。年率1%の所得の伸びだと、今から70年後に生まれる世代の平均所得は今日のおよそ2倍となり、200年後の所得は8倍となる。
次に経済成長率がもっと高く、1人当たりの所得が年2%増加するとしよう。この場合、1人当たりの所得はたった35年で2倍になり、100年後には8倍になる。
そして最後に、1人当たりの所得が8倍になるのに100年かかるのか、200年あるいは1000年かかるのかが、どれぐらい気になるか自問してほしい。むしろ世界的な経済成長の長期的な持続可能性や永続性を心配したほうが理にかなっているのではないだろうか。紛争や地球温暖化が、数百年以上にわたって社会に影響を及ぼす大惨事を引き起こさないかと心配したほうが理にかなっているのではないだろうか。
ある人が自らの子孫を狭くとらえるとしても、その人は子孫が将来の社会で繁栄し、貢献していることを望むはずだ。子孫がその人の世代よりもかなりよい暮らしをしているとすれば、子孫の絶対的な所得水準がどれだけ重要であるというのか。
多くの国々で経済成長至上主義の深層に横たわる論理の一つは、おそらく国家の威信と安全保障に対する懸念から来ている。歴史家のポール・ケネディは、『大国の興亡』の中で、長期的に見れば、同時代の国々と比較した一国の富と生産力が、その国の世界的な地位を決める決定的な要因だと結論づけた。