この老女房は遠慮もなくしゃしゃり出て、「まあ、畏れ多いこと。失礼なお席の設けようではありませんか。御簾の内にお入れすべきですよ。若い人たちはものごとの程合いも知らないのですからね」とずけずけ言う声が年寄りじみているのも、姫君たちは決まり悪く思っている。
「まったくどうしたものか、ここにお暮らしの宮さまは世間の人の数にも入らないような有様で、お訪ねくださってしかるべき人たちですら、思い出して訪問してくださるでもなし、だんだん音沙汰もなくなる一方のようですのに、あなたさまのまたとないご親切のほどは、私のようなつまらない者でも、なんと申していいかわからないほどありがたく存じます。若い姫君たちもそのことはよくわかっていらっしゃいながらも、申し上げにくいのでしょうかね」と、まったく遠慮することなくもの馴れた口をきくのも、小憎らしい感じがしないでもないが、その物腰はひとかどの者らしく、たしなみのある声なので、
「まったく寄る辺ない気持ちでいましたが、あなたのような方がいてくださってうれしいです。何ごともよくわかってくださっているようで頼もしいことこの上ない」と言って中将はものに寄りかかっている。それを几帳(きちょう)の端から女房たちが見ると、曙(あけぼの)の、ようやくものの見分けがついてくるなかで、いかにも人目を忍んでいるとおぼしき狩衣(かりぎぬ)姿がひどく濡れて湿っている。そのあたりになんともこの世のものとは思えぬ匂いが、不思議なほど満ちている。
弁が語り始めた母の遺言
この老女房は泣き出した。
「差し出がましい者とのお咎めもあろうかと我慢しておりましたが、悲しい昔の物語をどのようなついでに打ち明けようか、その一端でもそれとなくお知らせできようかと、長年、念仏誦経(ずきょう)の折にも合わせてお願いしてきた験(しるし)なのでしょうか……。今夜はうれしい機会ですのに、早くもあふれる涙にくれてとても申し上げられそうにありません」と身を震わせている様子は、真実悲しそうである。おおかた年老いた人は涙もろいものだとは見聞きしていたけれど、こんなに深く悲しんでいるのも妙だと思い、中将は、
「こうしてこちらに参ることは幾度目かになりますが、あなたのようにものの情けをわかった人はいなかったので、露深い道中をただひとり濡れながら帰ったものでした。これはうれしい機会のようですから、どうぞ何もかも残さずお話しください」と言う。
「こんな機会もめったにありませんよ。もしあったとしましても、明日をも知れぬ命で、先のことはあてにはできません。ですからただ、こんな年寄りがこの世にいたとだけお見知りおきください。三条宮(女三の宮の邸)に仕えていた小侍従(こじじゅう)はもう亡くなってしまったと、ちらりと耳にいたしました。その昔親しくしていた同じ年頃の人々も、多くは亡くなってしまいましたが、私はこの年になって、遠い田舎から縁故をたどって京に帰ってまいりまして、この五年六年のあいだ、ここにこうして仕えております。ご存じではないでしょうね、近頃、藤大納言(とうだいなごん)とおっしゃる方の兄君の、右衛門督(うえもんのかみ)でお亡くなりになった方(柏木(かしわぎ))のことを。でも何かの折などに、その方のお噂くらいは耳になさったこともあるでしょう。お亡くなりになってから、まだ本当にそれほどたっていないような気がいたします。その時の悲しみも、未だ袖の涙も乾く暇がないように思えますのに、あなたさまがこうして立派に成人なさったそのお年からしても、まったく夢のようで……。その、亡き権大納言(ごんだいなごん(柏木))の乳母(めのと)だった人は、この私、弁(べん)の母親だったのです。人の数にも入りません私ですが、朝夕おそばにお仕えしていましたので、だれにもお話しになれず、でもそのお心ひとつにはおさめきれなかったことを、ときおりこの私にお話しくださっていたのです。いよいよ最期かもしれないというご危篤の際に私をお呼び寄せになり、少しばかりご遺言なさったことがあります。あなたさまのお耳にも入れさせていただきたいことがひとつあるのですが、ここまで申し上げましたので、もし残りも聞きたいというお気持ちがありましたら、そのうちゆっくりお話しさせていただきましょう。女房たちが、この私が見苦しい、出すぎた真似を、とつつき合っているようなのも、もっともなことですから」と、その後は何も言わない。
次の話を読む:12月21日14時配信予定
*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
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