戒厳令で露呈した「韓国社会が抱える圧倒的な闇」 結局何が突然の戒厳令を招いてしまったのか

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4月に行われた国会議員選挙では、最終的に野党が韓国で過去数十年で最大となる議会の過半数を獲得した。

多くの韓国人はこれを 「審判の日 」と呼んだ。しかし、この結果、政府内の行き詰まりはより強固なものとなり、国家予算について合意することも、国民の不満に対処することも、いずれの政党にも制限されることになった。野党が尹政権の数人の閣僚を弾劾する動きを見せたため、険悪な雰囲気はさらに深まった。

「政府の運営方法を大改革する」と語っていた

4月の投票後、首相と大統領の側近の多くが辞任した。尹氏の首席補佐官は大統領からのメッセージとして、大統領は「政府の運営方法を大改革する」と伝えた。

しかし12月3日の夜には、尹氏はは驚くほど"反抗的"になっていた。「自由民主主義の基盤であったはずの国会が、それを破壊する怪物と化した」と宣言したのだ。

ほどなくして、デモ隊が国会議事堂の門に殺到する中、議員たちは大統領の措置解除を決議した。1月に刺傷事件から生還し、その後、尹政権に対してハンガーストライキを行った野党党首の李氏は、尹氏は「国民を裏切った」と述べた。

数時間後、尹氏は立法府の命令に従うと述べた。しかしその時ーー同氏の政治的将来が極めて不透明となった時でさえ、同氏はこう嘆願した。

「弾劾、立法操作、予算操作で国の機能を麻痺させている非道な行為を直ちに止めるよう、国会に求める」

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