亡父の没年齢に近づくにつれ、「会社にすると苦労が多いし、面白くないんじゃ」という言葉を思い出すことが多くなりました。
ITにバイオ、製薬といったハイテク系ベンチャーの企業家は、確かに上手くいけば巨万の富と高い社会的評価を得ることが可能です。
ところが、今の学生たちが「イケてる」と目指すキラキラ系の企業家になるためには、一般的な会社勤めでは想像できないくらいのハードワークが要求されますし、失敗したら一生かけても返せないような借金と、自分だけでなく他人(従業員や取引先)の人生をめちゃくちゃにしてしまうという、巨大なリスクを背負わなければなりません。
逆に、私の亡父のように、「人生を満喫する手段」として仕事を「そこそこ」に抑える生き方が、確かに存在します。私は物心ついた頃から現場に連れて行かれ、職人としてそういう生き方をしている人たちを、たくさん見てきたはずでした。
私はひょっとして、そういう生き方を「学術的に意味がないもの」として、切り捨ててきたのではないだろうか、と考えるようになりました。
「ライフスタイル企業家」という新概念
父との記憶を探っているうちに、私は2015年頃から楽しく生きるためにスモールスケールで起業する、「そこそこ起業」が次に来ると公言するようになりました。
当然のことながら、「そこそこ起業」なんて概念は、企業家研究には存在しません。しかし、私にとっては父親の生き様が、楽しく生きるための「リアル」です。
父の生き様を企業家研究として変換していくことで、好きなことを中心に自分と家族が生活できるくらいの稼ぎを、自分のペースで事業化して生きていくことも可能だという希望を、「そこそこ起業」という言葉に込めて伝えていくことができるのではないか、と考えるようになったのです。
実際、私に起業の相談に来る学生の大半が、「会社に勤めるのが嫌で、自由がほしい」から企業家を目指しています。そんな学生を「考えが甘い」とお説教して、実際には修羅の道であるキラキラ系企業家へと導くのではなく、「そこそこ起業」という言葉を発明することで、自分が楽しく生きる手段として起業する生き方を肯定していけるはずです。
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