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祟りが原因?道長が重い病に苦しみ続けた背景 三条天皇は無礼を働いたと不満を漏らすことも

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さて、1013年8月、藤原実資は日記『小右記』に「公の事がある日に、私事を専らにする。このようなことが近頃、顕著になっている」と書きつづりました。

宮中の年中行事(公事)がある日(8月16日)に、道長の子・頼通が法性寺に行くこと(私事)を計画し、多くの公卿がそれに加わりました。実資はそのことを批判しているのです。

道長の一家がそのようなことをしたのは、恐れ多くも、三条天皇への嫌がらせだったのかもしれません。嫌がらせをして、三条天皇に早く退位してもらい、外孫の敦成親王を即位させたい。道長らにはそうした想いがあったので「私事」を優先したのでしょう(もしくは、ただの怠慢・わがままかもしれません)。

三条天皇と道長は常に対立していた訳ではない

1014年4月、道長は針を踏んだことが原因で、歩行が困難となります。参内することもかなわず、毎夜、悩み苦しんだようです。瘧(高熱が繰り返えされる病)のような症状もあったとのこと。このことから、道長は病は祟りではないかと疑っていたようです。 

この年の初夏、三条天皇は、道長の邸(土御門第)を行幸されています。三条天皇と道長の関係はとても友好的なものではなかったかもしれませんが、つねに対立していたわけでもありません。同年11月には、年少の皇太子・敦成親王が三条天皇のもとを訪れています。三条天皇と外孫の対面に、道長は感激し、涙を流したようです。(我が孫もいずれ天皇にと)道長の胸中にさまざまな想いがあふれ、感極まったのでしょうか。道長は涙もろい性格だったのです。

(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社、2013)
・倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社、2013)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

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