スバル「レガシィ」国内で消滅、36年の歴史に幕 レガシィ アウトバックが2025年3月で販売終了
レガシィは、1989年に、それまでの「レオーネ」に替えてSUBARU(当時は富士重工業)を代表する上級車種として誕生した。
「スバル1000」以来の水平対向型エンジンを搭載し、2リッターの排気量を軸としながら、1.8リッターと2リッターターボエンジンを選択肢に加え、5ナンバーの上級車種として十分な性能を満たしていた。レオーネが基本的にスバル1000の技術を継承していたのに対し、レガシィは一から開発が進められ、最大の特徴は、車体剛性の高さにあった。
車体剛性にこだわった技術者の挑戦
1990年前後、日本の自動車メーカーで車体剛性を売りとした車種はほかになかった。エンジン性能やサスペンション形式などに比べ、車体剛性は消費者にわかりにくく、売りにつながらないと考えられたからだ。トヨタのGOA(グローバル・アウトスタンディング・アセスメント)ボディが登場するのも、1995年末になってからのことである。そうした時代に、車体剛性にこだわったレガシィの誕生は、技術開発を一から進められる機会を得て挑んだ技術者の、原理原則に徹する真摯な志を表していた。
車体がしっかりしていなければ、たとえサスペンションにダブルウィッシュボーンやマルチリンクを採り入れても、その性能を存分に発揮させることはできないというのが、当時の彼らの思想であった。そして、レガシィのサスペンション形式は、一般的な乗用車と同じストラット式であった。車体が堅牢であれば、ストラット式で十分にストロークを生かせ、走行性能を高められると彼らは説いた。その成果は、ラリーという競技の場で明らかにされた。
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