給食メーカーが介護食に大胆進出して遂げた復活 赤字で倒産危機→ニッチを極めて業績回復
―大変な時期に戻ってきたんですね。
ありがたいことに救いの手もあって。ちょうどその頃、赤城乳業で営業部長をしていた方が、引退して福島に戻ってきていたんです。当時の赤城乳業の社長が「トーニチが困っているみたいだから面倒見てやってくれ」と伝えてくださり、顧問として来てもらえることになりました。
その方は赤城乳業が売り上げ50億規模の頃に営業部長になり、250億ぐらいまで売り上げを伸ばしていった経験をされており、メーカー営業のノウハウを熟知されている方で。
顧問には数字を見ることや、営業と製造の相互理解を深めることの重要性など、いろんなことを教わりました。特に営業として外に出ることの大切さを力説されましたね。
弊社は下請け主体の会社だったので、営業マンはほとんど外へ出ず電話対応が中心でした。それを見て「なんで営業が外に出ないんだ」と。そこから全国各地、どこにでも行くようにすっかり変わっていきました。
―とはいえ、長年続けてきたスタイルを新しく来た人の助言で変えるって実はすごい大変なことなのでは?
親父がその点賢かったのか、もはや諦めちゃっていたのか、どちらかはわからないのですが完璧に私たち世代(当時20代)に任せてくれました。若手は赤字続きだった時代しか知らないので強い危機意識があり、そんな時に教えてくれる方が来たので反発も何もなかったです。
むしろ的確なアドバイスを貰えるのがうれしかったです。今思えば、褒めたり、やる気を引き出すのもすごく上手な方でした。
―営業先はどのように訪問するのですか?
私も2016年に代表取締役社長になるまではずっと営業で北陸や四国などを回っていました。給食業界でメジャーな方法として同行販売というのがあります。卸さんのトラックに乗せていただいてお客様のところを一緒に訪問して、卸さんが品物を納品している間に、私たちメーカーは商品サンプルやパンフレットを持ってご案内しています。
卸さんと道中話しながらあちこち行くのは楽しかったですね。そこで現場や要望をより深く知ることにつながり、いろんな世の中の需要やお困りごとが見えてきて、自社商品や品数を増やしていくことになりました。その“営業改革”が今の会社につながっています。
ニッチな分野で大手食品メーカーと差別化
―自社商品はどのように増えていったのですか?
顧問が来た頃から、少子高齢化で小中学校の子どもの数はどんどん減っていくので、売り先を考えていくべきだという話になっていました。営業であちこち回った経験や、うちの営業責任者の配偶者が栄養士をしていたこともあり、介護食の需要があることは知っていたので取り組むことにしました。
手始めに、地元の介護施設やデイサービスの人たちにヒアリングをして回り、その情報をもとに、自社商品(ナショナルブランド)として「なごみのひととき」というゼリー、プリンのシリーズを作りました。
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