24歳「現役アイドル✕気象予報士」大胆挑戦の裏側 椿野ゆうこさん物語(前編)

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「母が青少年科学センターの仕事をしていて、小学生の頃、よくそこに遊びに行ってたんです。そこで科学に興味を持ったのが最初ですね。気象コーナーとかで学んで。それで天気が好きになりました!」

生まれは京都府。京都市青少年科学センターに通ううちに科学を好きになり、なかでも、竜巻の発生メカニズムや気温や風速の測定など、気象コーナーの天候に興味を惹かれた。

何度も通っているうちに椿野はみるみる科学大好き少女、今でいう「リケジョ」(理系女子)となっていった。

夏休みの自由研究は、もちろん毎日の天候観測。毎日の観測で小学生ながら「あること」に気がついた。それは寒暖差が大きいということ。

「京都は盆地なので寒暖差がすごいんです。小学生の頃、毎日気温を測っているうちに『同じ場所でもどうしてこんなに1日の中で気温が違うんだろう? 面白いな』って思ったんです。その頃からですかね、漠然とですが『天気の研究をしていきたいな』と考えたのは」

高校生で「気象予報士になろう」と決意

そう。彼女が最初に考えていたのは研究することだった。

小中学校の頃は漠然とではあるが、天気の研究をしたり、理科の先生にもなりたいとも思った。そして高校1年生の頃、「気象予報士になりたい」と強く思うようになった。

「高校1年生の頃に文理選択があって、その頃には気象予報士になろうって決めました。テレビでお天気キャスターの方を見て、『私もなろう』って憧れましたね」

天気好きの少女は、高校を境に本格的に気象予報士になろうと決意した。

だが運命とは面白いもので、彼女は気象予報士となる前にアイドルになっていた。

小中学校では決して前に出るタイプではなく控えめな性格だったという(写真:今井康一)
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