「公団ウォーカー」管理人が選ぶ全国の"推し団地" 神代団地を散歩しながら「面白ポイント」探し

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照井さん
自主的に団地研究をする、照井さん。団地愛が加熱し、仕事の傍らで北海道から九州まで300カ所以上は見て歩いたそう(写真撮影/片山貴博)

現在のお住まいも、もちろん団地。2009年から東京都の調布市・狛江市にある神代団地で暮らしています。結婚後、お勤め先に通いやすいエリアで良い団地はないかな?と探して辿り着いたのだとか。この日も神代団地の一角でお話を聞きました。

「実は団地ってすごいんですよ。ダイニングキッチンといった先進的な間取りや、洋式水洗トイレやステンレス流し台など最新の住宅設備を取り入れ、日本の住宅の新しい標準形をつくっていきました。ここ神代団地も、もちろんそうです」(照井さん)

神代団地の風景
照井さんが暮らす神代団地の風景。新築当時のカラーはアイボリーだったそうだが、モスグリーンとグレー、ホワイトと3つのカラーを使用して、モダンな風合いに塗装し直している(写真撮影/片山貴博)

日本の団地の歴史の始まりは1955年ごろ。戦後の住宅供給が不足していた時に、”新しい住宅モデルを”と国民に提示し続けたのが、当時の日本住宅公団です(現在はUR都市機構)。

特に関東地方では、建物の間取りや住宅設備はもちろん、建物や道路の配置にも工夫を重ね、人々が暮らし、つながる、全く新しいまちをつくり上げてきました。

「たとえば、商店街の配置や団地内の植栽計画一つとっても、当時の日本には『これが正解』という勝ちパターンが存在しません。海外で生まれた近隣住区論を基礎にしつつ、地形や人の流れを読み解くことで、各地に個性的なまち(団地)が誕生しました」(照井さん)

一見、画一的なように思える団地ですが、その街や土地、人に合わせてトライアルすることが異なるのは面白いですよね。

幼稚園
最も初期の団地では子どもの預け先が圧倒的に不足し、深刻な問題になっていました。その反省から、大規模団地をつくる際は幼稚園や保育園が一緒につくられるようになりました。神代団地の幼稚園も公団が誘致したものです(写真撮影/片山貴博)
集会室
ガラス使いがおしゃれな集会室。途中で増設をしたそうだ。室内の壁はなんとパープルのカラーで塗装されていてとても華やか(写真撮影/片山貴博)

神代団地を散歩しながら面白ポイント探し

団地、すごいんだぞ!という話をひとしきり聞いてから、照井さんと一緒に、お住まいの神代団地内を見学していきます。神代団地も、リニューアル工事をしている部屋だったり、されていない部屋だったり。

なにしろ全部で約2000戸あるので、様相もさまざまです。歩いて見ていくうちに違いがわかりましたが、いろいろな形と階層の建物が存在しています。

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