道長記した「御堂関白記」が"世界に誇れる"凄い訳 道長自身は後世に残すつもりはなかったが…

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道長は空白部分に、3行から4行ほどの文章を書き記しています。そこに書ききれない場合は、紙の裏側へと続きます。

日記のなかには「この日記は披露(公に発表すること)するべきではない。早く破却するべきものだ」(1010年)との一文もあります。道長は、自分の日記を後世の子孫に残そうとは考えてはいなかったのです。

朝廷で行われる数々の仕事や儀式。それらは、作法や手順が事細かに決められていました。そして、儀式や仕事を過去(昔)の手順通りに、間違うことなく行うことが重視されていました。

先例(以前からの慣例)通りに儀式などを進めることが、朝廷ではよしとされてきたのです。家柄により、朝廷での地位が決まりますし、その地位によって担当できる儀式(仕事)も異なります。

そのため、貴族のなかには、自分の子孫のために日記をつけていました。子孫がスムーズに仕事ができるようにするためです(例えば、平安時代中期の公卿・藤原師輔は、日記をつけておくことを子孫に言い残しています)。

光る君へ 大河ドラマ 藤原道長
法成寺跡(写真:ogurisu_Q / PIXTA)

しかし、道長はそうではなく、備忘録として日記をつけていたのでした。ここが『小右記』(藤原実資の日記)や『権記』(藤原行成の日記)と、道長の日記の大きな違いでした。

道長は自分の日記を後世に残すつもりはありませんでしたが、その願いはかないませんでした。意図に反して、摂関家の最高宝物として、現代に至るまで、大切に保存されてきたのです。時の摂政・関白でも簡単に見れるものではなかったようです。

道長の自筆本が残っている

そして道長の孫・師実の時に、1年分を1巻とする写本16巻が成立しています。

『御堂関白記』の凄いところは、古写本だけでなく、道長の自筆本が残っていることです。

あまり知られていませんが、これは日本最古、いや世界最古の自筆日記なのです。欧州にも朝鮮にも中国にも、これほど古い時代の日記は今に残っていません(ちなみに『小右記』は平安末頃の写本、『権記』は鎌倉期の写本があります)。

自筆日記がそのまま残っているのですから、なかには、誤記や抹消、書き換えなどもあります。しかし、そこから道長の精神を垣間見ることもできるのですから、自筆本『御堂関白記』の貴重さと魅力は大きいと言えるでしょう。

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