冷戦期の遺物「核共有」にこだわる石破首相の思考 アメリカは拒否、核不拡散条約違反との批判も

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石破氏は、今年9月16日、自民党総裁選のネット討論会で「持ち込みなしの核共有」が可能だという、次のような意味不明の主張をしている。

「核共有っていうのは意思決定の過程を共有しましょうってことですから、非核三原則に触れるものでも基本的にはないということで。この話はもう少し真面目にしなきゃいかんですよ。核攻撃を受けた国であるだけに」

これは、非核三原則を見直すべきという石破氏の長年の主張と矛盾する話だ。

石破氏は、例えば、2017年9月6日のテレビ朝日の番組で、アメリカの核の傘で守ってもらいながら「持たず、作らず、持ち込ませず、議論もせず」でいいのか、と問いかけ、持ち込みを前提に、核共有も含めて議論をすべきと訴えて注目された。

実は、石破氏は、2023年12月15日の衆議院予算委員会でも、「持ち込みなしの核共有」について、次のような持論を展開し、岸田文雄首相(当時)に考えを聞いている。

「核共有というのは、核兵器を共有することでもない。管理権を共有することでもない。そして、使用の決定を共有するものでもない。共有するものは何か。核抑止によるリスク、効果、それを共有するのであり、意思決定に至るプロセスを共有する。それがニュークリア・シェアリングの本質だと私は思っているし、非核三原則に抵触しない形でもそれは可能なものだと思っています」

岸田氏は、「核共有については、非核三原則や原子力基本法をはじめとする法体系との関係からは認められず、政府として議論することは考えていない」と応じた。

石破氏はなぜ矛盾する発言をしたのか?

恐らく、石破氏の頭の中にはNATOの次のような体制のことがあったのだろう。

すなわちNATO加盟国(現在32カ国)は、核の主権にこだわるフランスを除いて、すべてが「核計画グループ(NPG)」と呼ばれるものに参加しており、核抑止の状況および活用に関する継続的な協議・決定に関わっている。つまり、前述の4カ国以外のヨーロッパの加盟国は自国に核配備を受け入れておらず、その意味で核共有自体には参加していないが、核協議には参加しているのだ。言い換えると、「核共有なしの核協議参加」だ。

日本で言えば、日本にアメリカの核兵器を持ち込まない状態で、「核共有なしの核協議参加」はできる。だが、「核兵器を日本に配備しておいて、いざとなったらそれを使うという体制」を整えなければ、核共有は成立し得ない。

要するに、総裁選時や岸田首相(当時)とのやり取りで石破氏が唱えたのは、核共有という言葉の普通の使い方に従えば、「持ち込みなし・核共有なしの核協議参加」のようだ。簡単に言えば、アメリカとの核協議をもっと強化すべきだという話になる。

しかし、不思議なのは、石破氏が短期間で矛盾した主張をしている点だ。

9月16日の討論会で「持ち込みなし」の核共有は非核三原則に抵触しないから導入を検討すべきだと言っておいて、9月20日ごろにハドソン研究所から寄稿依頼を受けて送った論考では、「持ち込み」を前提としたアジア版NATOでの核共有を検討すべきだと主張している。概念の整理ができていないということなのだろうか。

アジア版NATOの場合も、中国の抑止を目的とする構想のはずなのに、石破氏はこれに中国も参加してほしいと述べたことがあると、矛盾を指摘する声がある。こちらは、国連のような集団安全保障体制とNATOのような集団的防衛体制(軍事同盟)という2つの概念の混同から来る混乱のようだ。

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