「憎悪」と「嫉妬」は、どちらが"よりネガティブ"か 「プラスの効果」がまったく期待できない感情
普通の人間は彼らと同じ土俵にいないので、憧れはあったとしても嫉妬にはなりません。交際相手が「自分に向けるべき愛情」を人に向けていると思うから、また競争相手が「自分が得るはずだったポスト」に先についたから、嫉妬するわけです。
もし出世競争で負けても、相手を真のライバルだと思っていたら、そこには尊敬があるので嫉妬の対象にはなりません。自分もさらに精進しようと思うだけです。嫉妬は、感情の中でもっともプラスの作用を生まないものです。
ある意味、憎悪より性質が悪いのが嫉妬
憧れや羨望は「自分もあの人のようになりたい」となり、能動的な行動につながる場合があります。しかし嫉妬は、「不当にも奪われている」という感覚で止まってしまい、能動的な行動になりません。ある意味、憎悪より性質(たち)が悪いと言えるでしょう。
憎悪は人を行動に駆り立てるモチベーションになり、場合によってはいい結果をもたらすかもしれませんが、嫉妬は人を疲弊させるだけです。そこからリアクションしても、プラス効果はまったく期待できません。
嫉妬に飲み込まれているときには、そこに、「勘違いした所有欲」があると気づく必要があります。そうしないと、嫉妬から解放されることはありません。誰かに嫉妬したときは、その状況が本当に不当なのかと考えてみてください。たいていの場合は、実力どおりのことが起きているだけです。
「そのポストには自分がふさわしい」と考えていたかもしれないが、人事課はそうではなかった。「彼女は自分を好きになるべきだ」と思っていたかもしれないが、彼女自身は別の相手のほうがよかった。
本人は不当だと思っていても、冷静に見てみれば不当でもない。自分の認識自体に錯覚があっただけ。嫉妬から解放されるには、それが理解できるかどうかです。
そこに気づけば、嫉妬は無駄な感情だと一発でわかります。これが嫉妬の呪縛から逃れる第一歩です。
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