「憎悪」と「嫉妬」は、どちらが"よりネガティブ"か 「プラスの効果」がまったく期待できない感情

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今挙げたものにかぎらず、最終的に自分に合った方法を探せばいいのですが、押さえておくべき点が2つあります。物理的にひとりになること。そして、あまり動かずにできることです。

この技術はふだんから準備していないと、イザというときに使えません。また、しばらくやらないと必ず錆びつきます。習慣として、日常の中に組み込んでおくといいでしょう。

坐禅同様、これも技術として身につけていくためには、一定の訓練が要ります。しかし、試してみる価値、自分のものにする価値はあるはずです。

怒りは、何も解決しない

ある老師が、以前こんなことを言いました。

「直哉、俺も90歳を過ぎて、だいたいのことは解脱(げだつ/煩悩から脱すること)したと思っていた。もう、うまいものを食べたいとも思わないし、女に惚れることもない。だけどな、怒るのだけはダメだった。この歳になっても頭にくるんだよ。怒りからは解脱できない。仏の道は遠いな」

念のために言うと、老師が「頭にくる」のは個人的なことではありません。この老師は、寺で戦災孤児の救済活動をするなど、ボランティアの草分けのような活動を続けた人です。

彼の怒りは、社会的な問題や悲惨な状況にある人たちに対して、世間があまりにも無関心だということに向けられたものです。老師にとってこの怒りは重要な意味があり、また、これまでの活動を支える大事なエネルギーにもなってきたのでしょう。

そんな「怒り」であれば、捨てる必要はないと私は思います。その感情が激したときに、心の枠の中からこぼれないようにすればいいだけの話です。しかし一般的に見れば、怒りが、手こずる感情のひとつであるのは間違いありません。なにしろ、90歳の禅僧まで、捨てられないと言ったのですから。

「もう怒らないと決めたのに、小さなことで部下を叱ってしまうのです」

「パートナーの言動に腹が立ち、怒りが溜まっていつもイライラしています」

こんな悩みをよく聞きます。ついカッとなってしまうのは、「怒ればなんとかなる」といった妙な思い込みがあるからです。冷静になれば、いくら怒鳴っても、相手は畏縮するか反発するだけだとわかるでしょう。

怒る行為に効用があるとしたら、ただひとつ。「問題がここにある」と過激に指摘することだけです。

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