「憎悪」と「嫉妬」は、どちらが"よりネガティブ"か 「プラスの効果」がまったく期待できない感情
しかし、怒りにまかせて問題を指摘したところで、相手は決して納得しません。また、問題が解決することもありません。
もし、誰かがあなたに怒りをぶつけてきたときは、「この人はなんの問題を指摘しているのだろう」と考えれば、それで十分です。
たとえば、上司が「結論から言いなさい!」と部下を叱ったとします。それは、「報告がまわりくどい」と問題を指摘しただけです。だから、叱られたほうは、次からは、端的に現状報告すればいいわけです。短気な上司がどんなに激昂しても、「この人は、怒れば問題が解決すると思っているのだな」と、指摘された問題だけ捉えて、余計な怒りは受け流せばいいのです。
そもそも人が怒るのは、「自分が正しい」と信じているからです。しかし、その「正しいこと」すらあいまいなものであって、変化するものです。それがわかっていれば、一時的にムッとすることがあっても、さほど激しい怒りにはならないはずです。
「自分の言っていることはどんな場合も正しい」と思い込むのは、仏教からもっとも遠い感情です。だから、「怒る」行為をとても嫌います。苦しみを生み、悟りを妨げる3つの毒「三毒(さんどく/貪、瞋、痴=貪り、怒り、愚かさ)のひとつに数えられるほどです。
「あっ、また怒ってしまった」と思った時点で、もう一度本当に自分が正しいのか、再検討する余地があると考えてください。およそ物事は、ある一定の条件でしか成立していません。怒りに翻弄されたくなかったら、この考え方を頭にたたき込んでおいたほうがいいでしょう。
ちなみに、当座の怒りを鎮めるには、怒りの相手から物理的に離れることをおすすめします。また、立っているのではなく、床に直接座ってしまうことが効果的です(椅子よりはるかに効果的)。
苦しい嫉妬は、錯覚が生んだ感情にすぎない
怒りと同じく、嫉妬にも人間は煩わされるものです。憧れや羨望なら、「あんなふうになりたい。なれればいいのにな」で終わります。
一方、嫉妬が生まれるのは、「本来、自分が持つはずだったものを人が持っている」と勘違いしたときです。本当は、自分がそうなるべきだった状況を他人に奪われた。そう錯覚するから激するのです。嫉妬の根っこにあるのは所有欲であり、「自分のもののはずなのに、不当にも奪われている」感覚です。
たとえば、ほとんどの会社員は、スティーブ・ジョブズや孫正義には嫉妬しないでしょう。また、いくら野球が好きでも、大谷翔平に嫉妬する人はいないはずです。
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