もっとも奥にある和室に、一見、押し入れのように見えるふすまがある。開けるとそこには急勾配の狭い階段がある。身をかがめて登ると、上には屋根裏の大空間が広がっていた。作業に同席していた娘が、高齢のため屋根裏に登れない父に代わって説明してくれた。
「戦争(太平洋戦争)のときに避難してきた親戚もここに住んだことがあるんですよ。だから前は物置ではなくて、人が住んでいたところなんです」
今は大型の棚やタンス、古い家具家電、ダンボール、不用品などの物置になっている。中には「昭和3年」と書かれた木箱まであった。西暦になおせば1928年。捨てづらいのはわかるが、古いだけではモノに価値はつかない。
それにしても、これだけのモノを一体どうやって屋根裏に運んだのだろうか。どう考えても、棚やタンスは隠し扉の先にある狭い階段には入りっこない。
すると、「私も最近まで知らなかったんですが……」と、男性が不用品の入ったダンボール箱の下を指さす。どかしてみると床が四角の形に外れるようになっていて、そこからヒモを吊るしてモノを搬入していたそうだ。
片付けたくても片付ける術がなかった
現場に入ったスタッフは7名。屋根裏は上に2人、下に2人の計4人で、ヒモを吊るして家具を1階に下ろしていく。1日だけではすべてトラックに積み込むことができず、作業は2日目に突入した。
これだけ大量のモノがあれば、高齢の男性一人だけではどうすることもできなかったことは容易に想像がつく。何かきっかけがないことには手をつけられないほどの物量だが、思い切って片付けるに至った理由は何だったのだろう。
娘に説得される形で片付けることになったという男性が話す。
「私の健康状態が気になったし、歳も歳ですしね。もうこの際、やっておかないと。長年生まれ育った家なので古いものがそれなりにあるのはわかっているもんですから。子どもの世代になったときに片付けるのも大変だということで、片付けることにしました」
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