岸博幸、森永卓郎への親近感を生んだ「共通体験」 スタンスは違っても、経済で目指す方向は近い
森永さんは自分がやりたい仕事に邁進する過程で極度の貧乏を経験し、おそらく奥様に多大なご苦労をかけたのだろう。
僕の場合、僕が中学生のときに親が離婚し、養育費ももらえない中で母が女手ひとつで姉と私を養うという、奨学金なしには高校も大学も行けないくらいの貧乏生活を経験した。
そうした共通の原体験があるからこそ、スタンスはまったく違っても、経済で目指す方向(国や企業よりも国民生活を豊かにする)が近いのだろう。だからこそ、僕は森永さんのことが大好きだし尊敬できるのだろう。
その森永さんと僕が、よりによって同じがんという病気を患っているというのも奇遇というしかない。
もちろん、僕はまだ余命があと9年もあるのに比べると、森永さんは残り4カ月という余命宣告を受け、人生の残り時間という点ではより切迫しているはずだ。それにもかかわらず、僕との対談に貴重な時間を割き、生き方や考え方を本音で語り続けてくれた森永さんの姿に、僕は「国士」を見た気がする。
森永さんの言葉には魂が宿っている
森永さんは「本当のことを言って死ぬ」と語り、実際にそれを実践されているが、これは簡単なようですごく難しいことだ。
残された時間とお金を、たとえば旅行や食事、趣味など自分の個人的な幸福追求のために使うという選択肢も考えられる中で、何よりも優先して他者のために自分の言葉を残そうと病身に鞭打って仕事を続けておられることは、言論人として生きてきた森永さんの真骨頂であろう。
お金を稼がなければいけない特段の事情もなく、またこれ以上有名になる必要もない森永さんを、人生の残り時間がもうないにもかかわらずここまで突き動かしているものは何か。
それは日本という国のあるべき姿を示し、長い停滞の時代が続く経済、社会を少しでも良くしていきたい、自分の信じる真実を語ることでそれに貢献したい、という純粋な気持ちの表れではないだろうか。
森永さんは僕より5歳年上だが、1980年代の若き日に霞が関で猛烈に働いていたという共通項もあり、常にアクセル全開で突き進むその生き様は心から尊敬しているし、それこそがいまの日本に足りない部分ではないかと僕は思っている。
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