維新の党「仮面夫婦」の破局は仕組まれていた 中央vs地方は、かつての公明党とも類似
柿沢氏の山形市入りを知った維新の党東北ブロック代表の小熊慎司衆院議員や山形県2区支部長の川野裕章氏はなんとか押しとどめようとしたが、柿沢氏は「野党連携に繋げる必要がある」と強行。責任を感じた小熊氏が党の役職の辞表を出すまでに発展した。そればかりではない。「大阪系」を中心に、猛烈な柿沢批判が巻き起こったのだ。
たとえば浦野靖人衆院議員は、8月14日に「辞職(注:幹事長辞任のこと)よろしくお願いします」とツイッターに記載。足立康史衆院議員もツイッターで激しく柿沢氏への批判を展開し、18日付けのブログで「柿沢議員は初鹿(博明)議員以下、上西さゆり並み」と酷評。「初鹿議員は共産党とマイクをともにして、柿沢幹事長からすべての役職を解任された。傘下の議員には厳しい処分を下して、ご自分は謝るだけ、柿沢さんもそれでは済まない」と述べている。
そして彼らのボス的存在である松井知事も8月20日の会見で、「お子ちゃま、赤ちゃん」「けじめを付けない幹事長にはついていけない」と柿沢氏を厳しく批判。橋下氏も「最後は喧嘩で決着するしかない」と松野頼久代表に伝えていた。
アポなしで大阪を訪問
こうした混乱にさらに拍車をかけたのが、柿沢氏が25日に大阪府庁を訪問したことだろう。これは事前のアポイントメントをとらない“突撃訪問”だった。今井雅人政調会長もその前夜に松野氏に要請されて同行しているが、代表である松野氏も関与していながら、なぜ松井氏にアポをとらなかったのかが不思議だ。アポをとろうとすると、断られるかもしれないという判断があったのかもしれない。ならば初めから関係修復など不可能だ。わざわざ大阪まで行く必要があったのか。
案の定、柿沢氏と松井氏は短時間話をしただけで、双方は歩み寄ることはなく、決裂に終わった。松井氏はその日の夕方、「一枚岩では進んで行けない」と述べ、党の分裂を示唆している。
そして26日午後6時から急きょ、衆院第26控室で両院議員懇談会が開かれた。すっかりしおらしい様子で現れた柿沢氏がこれまでの経緯を説明。「足立さんが(経済産業省で後輩だった)佐藤候補の応援に入るというから、私も梅津候補の応援に入った」と述べると、足立氏がすぐさま「それは順序が違う。幹事長が山形に入るというから、私も入ろうとした。しかし地元の『入らないでくれ』との要請を受け入れ、中止した」と反論した。その他、さまざまな意見が相次ぎ、懇談会は2時間にも及んでいる。
翌27日12時半から開かれた両院議員懇談会は、橋下氏からのメールが読み上げられ、5分で終了。その内容は以下の通りだ。
① 柿沢幹事長は辞任しない
②公開討論会は開催しない
③今、党が割れるようなことはしない
④僕と松井知事は、国政政党維新の党を離れて大阪、関西の地方政治に集中する
そしてこの日、橋下氏と松井氏が離党を表明。2人が“身を引く”ことで騒動はおさまったように見えたのだが……。
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