贖罪で移民を受け入れたドイツが直面する苦境 中道を標榜するが、過激なポピュリズムに向かう人も
ドイツの国家元首は大統領ですが形式的なもので、実権は行政権をもつ連邦首相にあります。
議会の過半数を得れば首相に――しかしドイツではこれがなかなか難しい。一強という政党がないため、連立政権が多くなっています。
群雄割拠の政党のなか、二強と言えるのが保守のキリスト教民主同盟と、リベラルの社会民主党。どちらも政権を担った経験のある有力政党ですが、メルケル政権ではこの二強の大連立政権だった時期が長くありました。
あえて右派政党を選んだメルケル
キリスト教民主同盟と、社会民主党を中心に、ドイツの政党を見ていきましょう。
キリスト教民主同盟は、ドイツ帝国時代(1871〜1918年)の中央党がルーツです。「小さな政府(「個人の自由を尊重するから、公共サービスや福祉は最小限でいい。教育も経済活動も、実力本位で国民がそれぞれ頑張ればいい」という考え方)」を目指す伝統を重んじる内向きな政策、“昔ながらの保守”という趣でした。
現在は中道右派と見なされており、キリスト教的な価値観を重視はしているもののキリスト教を必ずしも前面に押し出しているわけではありません。
しかし、保守的な政党の名前にキリスト教という宗教名がついているのは、伝統的な主張にはキリスト教的な価値観が結果として反映されていることが多いためであろうと私は考えています。
欧州におけるキリスト教という存在の大きさを象徴しているようです。なお、政教分離を重視するフランスの国民議会には、宗教名がついた議席を持つ政党はありません。
社会民主党は19世紀に誕生した伝統ある政党で、どちらかというと「大きな政府(教育、福祉、医療、環境保護、経済活動など、国民一人ひとりの生活に補助金や規制を通じて政府が介入)」を目指しています。福祉に力を入れるリベラルで、対外的な経済政策としては国際協調路線です。
私はこの2つの連立政党から、長くドイツの顔となったメルケル首相が出たことを“中道ドイツの象徴”のように捉えています。
アンゲラ・メルケルは旧東ドイツの出身の牧師の娘です。東西が壁で分断されていた冷戦時代に育っていますから、社会主義的な影響を受けていることは間違いありません。ベルリンの壁が崩れる35歳までは物理学者でしたが、政治思想は社会主義的であっても不思議はないでしょう。
ところが政治活動を始めた彼女が入った政党は、キリスト教民主同盟。これは東ドイツにあった別の政党ですが、統一ドイツでも同じ名の保守政党を選びました。
彼女自身の卓越した能力を考えれば、どの政党でも政治家として名をなしたでしょうし、社会民主党に入ることも簡単だったでしょう。“ドイツ左翼の期待の新星”にもなれたはずです。
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