「勝算の低い戦争」に日本が突き進んだ背景事情 行動経済学で紐解く、日本軍部の心理
1941年12月、日本が真珠湾攻撃で第2次世界大戦に参戦した頃のアメリカと日本を比較すると、アメリカは世界恐慌で受けた不況から脱出して景気が回復していました。
一方の日本は次の理由から経済力が弱まることが見込まれていました。
まず、エネルギー資源の問題です。当時、日本はアメリカから石油を輸入していましたが、アメリカは日本への石油の供給を停止することを決定していました。石油輸入の7割をアメリカに頼っていたので、供給が止まってしまうと日本の備蓄量で賄ったとしても、2~3年で底をつくことが見込まれていました。
次に戦力面です。ヨーロッパで第2次世界大戦が始まった1939年の頃、太平洋地域での日米の戦艦や空母による軍事力の差はそれほどありませんでした。なぜなら、アメリカは、その軍事力を欧州の戦争に振り向けていたからです。ところが、アメリカは大国の経済力で、太平洋地域の軍事力を増強しつつありました。
そのため、数年後には太平洋地域での軍事力の面でも、不利な状況に追い込まれることが濃厚となっていたのです。実際、零式艦上戦闘機(零戦)は約1万機が生産されたものの、 アメリカは戦争中に約30万機の航空機を生産しました。こうした状況を踏まえて、日本はアメリカとの差が拡大する前に戦争を仕掛けるのが得策と考えました。
国力が低下することがわかっているなら、いまのうちに戦争を仕掛けたほうが有利だからです。まさしく、パワーシフト理論が働いたのです。
プロスペクト理論はリスクを評価する
勝算の低い戦争に突入したことを説明するもうひとつの理論は、2002年にノーベル経済学賞を受賞した、ダニエル・カーネマン氏とエイモス・トベルスキー氏によって発表されたプロスペクト理論です。
行動経済学に基づくプロスペクト理論では、損失を受ける場合にはリスク愛好的(追求的)な行動をとる傾向があることがわかっています。さらに私たちには高い確率ほど低く評価し、低い確率ほど高く評価するという心理傾向があるとも想定されています。
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