是枝監督「長編デビュー作」に残る"輪島の風景" 能登半島地震の復興を願い、リバイバル上映
――企画を成立させるまでに3年以上の月日が経ったそうですが。
合津:やはり地味な話でしたから。お金も集まらない、配給のメドもたたないまま、3年という月日が経ってしまいました。
ある会社の方からは「こんな暗い映画を誰が観るんだ」と台本を投げ返されたこともありました。そんなこともあり、わたしはもう映画づくりを諦めるつもりで、(あらためて主人公の足跡をたどるべく)輪島に旅をしたんです。
その旅の途中でふと立ち寄った輪島市観光協会で、本田さんという事務局長の方と出会いました。そこで現状をお話ししたところ、「お金(製作費)は出せないけど、こちらでやれることは応援します」とおっしゃっていただきました。
それまで誰も応援してくれなかったのに、突然応援するという方が現れたのが、本当に驚きで。そこから『幻の光』の企画ははじまったんです。そうやって諦めようと思って出た旅で本田さんと巡り合うというのも、映画の神様がいたのねっていう感じがしました。
輪島の朝市の風景も残っている
――地震による火事で、輪島朝市周辺の風景も変わってしまいましたが、そんな輪島朝市の風景がきちんと映し出されているところも、この映画を観る意味があると思います。撮影をした時の朝市はどんな感じだったんですか?
中堀:もうそのままですね。こちらからは何も言わない。お店を出した、そのままで撮っていました。
合津:輪島の皆さんは本当に優しかったです。事務局長の本田さんには本当にお世話になりまして。旅館組合や朝市組合、商工会議所の方たちも「本田さんが言うなら」ということで、快く協力してくださいました。
――『幻の光』という作品は、ベネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞(撮影賞)を受賞した作品ということで。中堀さんにとっても思い出の深い作品なのでは?
中堀:撮る前はドキドキでしたよ(笑)。
合津:ベネチアのコンペには世界中から2000本ぐらいエントリーがあるそうで。当時は是枝(裕和)くんも新人、江角さんも新人、プロデューサーのわたしも新人。もちろん中堀さんは巨匠ですけど、とはいえそもそもは国内では誰も気にしてくれない作品でしたから。
そんな中で世界の13本に選ばれるわけないなと思っていました。でもベネチアのコンペに選ばれて、賞をとったことで日本での風向きは完全に変わりましたね。
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