そういうときは、とりあえず「そんなこと、どうでもいいじゃないか」と投げ出してしまうとよい。自分自身も含めて、問題をすべて遠くに捨て去ってしまうのである。
そうすることで、肩の力が抜け、あらためて問題を客観的にとらえ直すことができる。そして何よりも、自分自身を客観的に見つめ直すことができる。「そんなことどうでもいいじゃないか」と投げ出してみると、意外と矮小な問題に悩んでいたことに気づいたりするものだ。
自他のあらゆる属性を対話において利用する
イベントの後半では、指定討論者として学生など数名が壇上に上がった。若者から意見や質問を募り、それをネタにして石田さんと私が論じるという趣向である。
ある男子学生から、「タテとヨコのコミュニケーションの違い」についての悩みが寄せられた。「タテ」とは、先輩や後輩のように、立場や年齢に違いのある同士のコミュニケーションのこと。「ヨコ」とは、同級生のように立場や年齢が同じ同士のコミュニケーションのことだ。
ここで、「先輩」「後輩」「同輩」と場合分けして、それぞれのコミュニケーション術について論じるのが一般的であるし、現実的であるのかもしれない。だが、対話論では、年齢の違いも、単なる他者との「違い」の一つにすぎないと考える。特別扱いはしないのである。
ただ、対話とは、年齢の違いを無視して、対等に話すための技術でもない。違いは違いとして意識し、戦略的に利用する必要があるのだ。
たとえば、相手が先輩で、その立場や年齢の違いを重視している場合、長上として敬うことが問題解決の早道ならば、そうすればよい。逆に、対等に接して怒らせることが問題解決の早道ならば、そうすればよい。ただそれだけのことだ。
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