「日本は、これまでに十分な謝罪をしてきた」 岡本行夫氏「70年談話は未来志向で」

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――あなたは、先ほど1910年の韓国併合を、日本の「歴史的過ち」と言及されました。安倍首相がそれに同意するとは思えないのだが。

私は、安倍首相の立場はわからないが、当時の政策を擁護するとは思わない。日本には併合が政策として誤っていたという幅広い意見がある。

― それは本当なのか。 国民的合意なのか。 政治家や作家、歴史家の中にも、併合を「合法的であった」とつね日頃、擁護している者がいると聞いている。

私が言っているのは政策としての当否だ。

そろそろ「謝罪」を乗り越えて前に進むとき

――韓国併合が誤りであったという国民的合意があるのであれば、韓国における日本の行為に関し、なぜ安倍首相は常に「植民地化」という言葉を避けるのだろうか。

首相は、あなたがたジャーナリストが求める4つの「キーワード」(植民地主義、侵略、謝罪、反省) の使用について反感を持っているわけではないと思う。しかし、日本はこれまでに10回以上も総理大臣の声明として「謝罪」を表明してきた。そろそろ前に進むべきではないか。そのような言葉をいくつ入れるかより、世界の利益に役立つ新たなビジョンを目指すべきだというのが首相の考えではないか。

4つのキーワードが使われるか否かが、日本の過去の行為の正しさあるいは誤りに関する歴史的解釈になるわけではない。私は大学で教えているが、いったい日本はいつまで謝罪を続けなければならないのか、とよく学生から質問を受ける。学生たちは私より2世代も若く、戦時中の政策は彼らの曽祖父や曽々祖父が行ったものである。今の学生たちは、暗い過去の責任を負っていない。われわれの世代には、過去の犠牲者たちに謝罪を続ける道義的責任がある。しかし同時に、今の学生たちがペシミズムに侵されないようにする責任もある。

――「侵略」や「植民地主義」といった言葉が含まれていない、安倍首相の70周年談話は、あなたにとって心地よいものか。

私は、そういったことは重要なポイントではない、と思っている。大事なのは、首相談話の全体的なトーンだ。

ピーター・エニス 東洋経済 特約記者(在ニューヨーク)

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Peter Ennis

1987年から東洋経済の特約記者として、おもに日米関係、安全保障に関する記事を執筆。現在、ニューズレター「Dispatch Japan」を発行している

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