千里中央、北大阪急行延伸で「地盤沈下」進むのか 終着駅から中間駅になったニュータウンの中心

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ところで、気になるのは千里中央の今後である。北急の延伸によって千里中央駅の利用者が減るというのもさることながら、周辺エリアの再開発計画が滞っているのも気がかりだ。

このエリアの発展は、1962年に千里ニュータウンのまちびらきが行なわれた頃に端を発する。大阪万博が閉幕した1970年9月には現在の千里中央駅が開業。2年後には大型複合施設「千里セルシー」もオープンし、すでに営業していた百貨店の千里阪急や旧・千里大丸プラザ(大丸ピーコック)とともに、居住人口が10万人を超えていた千里ニュータウンの中心地として、その存在感を増していった。

とくに、千里セルシーはスーパーや飲食店に加えて映画館やボウリング場、屋上遊園地やプールまであり、子どもから大人まで楽しめる施設だった。筆者も子どもの頃、週末になると両親に連れられて遊んだのを覚えている。

にぎやかだった「せんちゅう」

また、屋外に設けられていたステージは、若手歌手の登竜門としても知られていた。光GENJIをはじめ、モーニング娘。や矢井田瞳、AKB48など錚々たる面々がここでイベントを開催。「ここに立つことができると人気が出る」と言われ、若手にとっていつしか憧れの場所となった。

ちなみに、千里中央は歴史の舞台となったこともある。1973年、オイルショックをきっかけにトイレットペーパーの買い占め騒動が全国で起きたが、その発端は千里中央の大丸ピーコックだった。折から政府が紙の節約を呼び掛けていたところ、店の特売広告に書かれた文言が誤解を生み、買い占め騒動に発展。これが報道され、全国に波及したのだ。

千里セルシー
2019年に閉館した「千里セルシー」。かつては上階に屋上遊園地やプールもあった(撮影:伊原薫)
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