「卒倒しそうになった」高校で学ぶ金融教育の実態 「アメリカへの投資」が日本を豊かにしないワケ
繰り返しになるが、金融教育とは、「より豊かな生活やよりよい社会づくりに向けて、主体的に判断し行動できる態度を養う教育」である。
「日本の未来を明るくする」には、若い彼らに社会に存在する不便さや問題などの解決に取り組んでもらって、そこにお金が流れる必要がある。
そもそも、”金融”とはお金を融通するという意味だ。お金を融通さえすれば、社会が自動的に豊かになるはずはない。融通してもらった人が、そのお金を使ってどんな社会を作るかにかかっている。
それなのに、「君たちもお金を出す側にまわりなさい」と教え、さらには「アメリカの人にがんばってもらいましょう」とドル投資を薦める。
これが、「日本の未来を明るくする方法」なのだとしたら、完全なブラックユーモアだ。日本では新たなものは作られずに、消費者はアメリカにお金を払って利用させてもらうしかない。ますます円安も進むだろう。
現場が手探りの中、メディアの罪は深い
何よりも問題なのは、この金融教育に違和感を覚えずに、新聞記事にしてしまっているところだ。メディアのせいで「金融教育」=「お金を増やすための教育」とすりこまれている影響が大いにある。
お金や金融システムについては、高校社会科の新科目「公共」の中でも学習する。筆者自身、「公共」の教科書の執筆に携わったのだが、それだけでは十分に学ぶことが難しいと思い、お金の教養小説として『きみのお金は誰のため』を執筆したという経緯がある。
僕自身が、投資銀行で働いていたときの自戒の念もある。『きみのお金は誰のため』では、同じく投資銀行ではたらく七海がその思いを代弁してくれている。
アメリカで情報技術への投資がうまくいったのは、投資マネーが集まったからだけではない。自分自身の時間を費やして、問題解決のために立ち上がる若者が大勢いたからだ。明るい未来を作っていくのは、若い人たちの意欲と行動力だ。
学校の先生たちも、投資教育に偏った現在の金融教育に戸惑っているという話も耳にする。冒頭に紹介したニュース記事に登場する学校の校長も、現状の金融教育について「単純な投資の方法論や被害に遭わないようにといった注意喚起に終始しているように感じられるのは残念だ」と別の記事で述べていた。
金融教育が始まったばかりで、現場の先生や金融機関も手探りで進めている中、メディアが「金融教育」=「お金を増やすための教育」と喧伝することの罪は深い。
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