松下、YKK、大震災 街の電器屋は逆境で育つ--ケーズホールディングス会長 加藤修一《中》
88年に売上高100億円を達成し、株式上場。その前年には、初の県外となる宇都宮に出店。水戸へ進出してきた、コジマへの対抗意識があった。「あの頃は自宅通勤が普通で、転勤などなかった」。そこで社員をすし屋に連れていき、酒を飲ませて説得。繰り返すうちに、すし屋に連れていかれたら転勤というパターンができ上がってしまった。
絵に描いたような右肩上がりの中、91年に大きな壁にぶつかる。よつば電機の買収だ。
当時は、「東北の家電店といえば、よつばかデンコードーといわれるくらい急成長を遂げていた」と電機メーカーの営業担当者は振り返る。だがケーズが買収を決めた年、すでに火の車だった。
東北エリアの店舗担当だった遠藤裕之(現社長)も不安だった。「よつばは出店を急ぎすぎたせいで、店舗の品ぞろえが全然ダメ。うちが買収すると聞いても、現場は疑問に思っていた」。
加藤は「経営の中身などろくに見ず、30分か1時間で買収を決めた」。念のため父親に電話で相談したが、「赤字の会社は税金を納めないからいいんじゃない」で終わり。プレス発表も行い、取引先のメーカーへ説明に回った。
大変なのはそれからだった。突然、よつばの社長と専務が雲隠れしたのだ。ケーズが救済すると決まって気が大きくなり、コジマとヤマダへも身売りを持ちかけに行っていた。加藤が連絡を取ろうにも音信不通。まさに“がんばり時”なのに、相手がいなくては身動きが取れない。10日間、眠れぬ日々を過ごし、ストレスで胃にポリープができた。
置き去りにされたよつばの社員から聞き取りをすると、そうとうに深刻なことがわかった。毎月1億円の赤字を垂れ流して債務超過。追加出資しないと早晩に潰れることがわかり、散々だった。