イランはなぜイスラエルをここまで敵視するのか。その始まりは1979年のイラン・イスラム革命に遡る。1925年に誕生したパーレビ朝は親米路線で、ソ連の赤の脅威への防波堤としてアメリカの支援を受け、軍事・経済面で西欧的な近代化を進めていった。
1948年にイスラエルが建国された際、イランは中東のイスラム諸国の中でいち早く、トルコに続いて1953年にイスラエルと国交を結んでいる。そして1959年には、エルアル・イスラエル航空が直行便を就航させ、テルアビブとテヘランを毎日結ぶようになった。
いち早くイスラエルと国交を結んだイラン
多くのイスラエル人が観光でイランを訪れ、多くのイスラエル企業がイランに進出し、両国は経済的な結びつきを強めていった。イスラエル最大の建設会社がテヘランの高級ホテル、空港、橋、海軍の基地、居住区などの建設を担った。当時の建物の多くは今も残されているという。
軍事面では、両国が共同で兵器開発を行った。中でも「フラワー・プロジェクト」と呼ばれたミサイル開発プロジェクトは、イスラエルのエリコ・ミサイルをベースとした新型地対地ミサイルの共同開発で、両国の強い結びつきを象徴するものだった。
1967年に勃発した第3次中東戦争の後、イランはイスラエルとの合弁会社を通じて、イスラエルへ石油の供給を開始した。その見返りとしてイランは、農業・水道システムの支援をイスラエルから受けた。
1973年のオイルショックでは、アラブ諸国がイスラエル支援国家への石油禁輸を発表したが、イランはこれに同調しなかった。
イスラエルの政府関係者も頻繁にイランを訪問した。イスラエル歴代首相の中では、1966年にレヴィ・エシュコル首相、1972年にゴルダ・メイール首相が公式訪問し、軍高官、モサド長官などの要人も多数訪れている。
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