金日成死去から30年・韓国人が流した涙の意味は 南北分断70年超、統一意識も薄れつつあるが…

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下宿で日本語を話せるのは、学生たちを含めてもヨンギル爺さん1人だけ。細かい意思を伝えたいとき、なくてはならない存在なだけに、良好な関係を保ち続ける必要がある。

「貴様」と呼ばれると絶対的命令と受け止め、すぐに返事して部屋を出た。

「きょうは暑い。行きつけのタバンに冷たいコーヒーを飲みに行くぞ」

タバンとは「茶房」。喫茶店だ。上官の命令を受け、着の身着のまま行きつけにお供し、下宿に戻った。「昼はおれが辛ラーメンを作るから一緒に食べよう」。これまた上官の厚意に甘え、部屋に戻ったそのときだった。

「おい! これは大変だ。あなたすぐに会社に行きなさい」

動転している様子からも、鉄板ネタの「貴様」ではなく「あなた」と言ったことからも、尋常ならざる何かが起きていることが直感でわかった。

「き、金日成が死んだぞ」

ひざまずき慟哭する若者

金日成氏が前日に死んだことを伝える朝鮮中央テレビの特別放送は、死去翌日の1994年7月9日正午から始まった。辛ラーメンを作る前、テレビを見ていたヨンギル爺さんは、速報に接し、腰をぬかさんばかりに記者である私に知らせてくれた。

下宿を飛び出して大通りに出ると、驚くべき光景が広がっていた。歩道に立ち尽くし、何人かの若者たちが肩をよせあってむせび泣いていた。1人の女性は道路にひざまずいて慟哭していた。

新聞社のオフィスに行くと、改めて学生たちの声を聞きに行くことになり、学生街に戻った。

「首脳会談が決まっていただけに残念でならない」「南北のバランスが崩れて韓(朝鮮)半島が不安定化しないか心配」といった声のほか、「生まれたときから南北に分断されていたので、特別な感情はない」という意見まで、さまざまだったが、今度は涙を流している人を見つけることはできなかった。

その後で南大門市場に移動した。「失郷民」と呼ばれる、北朝鮮側を後にして韓国に来た人々が闇市を始めて大きく広がったとされる市場は、異様な空気に覆われていた。

商いをする人に飛び込みで尋ねてみると、1人目の女性がまさに失郷民だった。

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