富山港線はなぜ「日本初のLRT」になりえたのか 2006年に路面電車化、鉄道路線として開業100年

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沿線人口について見ると、市内電車沿線は近年微増傾向なのに対して、富山港線沿線は緩やかに減少している。にもかかわらず利用者数が増えているのは、利用者の約2割は交通手段が変化し、うち約5割は自家用車から転換したと回答しているからだろう。単純計算すれば1割はマイカーからの転換になる。

城川原駅
バリアフリー対応が施された城川原駅(筆者撮影)

南北接続前まで、富山ライトレールと市内電車の乗り換えは地下通路を使わなければならず、5分程度かかったと記憶している。でも今は電車に乗ったまま反対方向に行ける。この違いが、マイカーからLRTへの乗り換えを促したようだ。

話題性だけでない実力

新規に路線を開業することは、たしかにニュース性は高い。でも多くの人に乗ってもらうには、乗り換えを簡単にしたり、直通運転をしたりすることも大切と教えられる。

芳賀・宇都宮LRTのハードウェアは、富山ライトレールから継承されたものが多い。加えてここで紹介した資料のように、利用状況をさまざまな角度から分析し、多くの人にわかりやすい内容として伝えることも、芳賀・宇都宮LRTに受け継がれている。公共交通利用と医療費との関係も、富山市は5年前に公表している。

富山ライトレールという名前こそ使わなくなったものの、LRTの先駆者としてのプライド、先駆者であり続けるためのバイタリティ、的確に実績を伝えるコミュニケーション能力は健在であり、これからも日本におけるLRTのリーダーとして、多くの都市に影響を与える立場であり続けると思っている。

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森口 将之 モビリティジャーナリスト

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もりぐち まさゆき / Masayuki Moriguchi

1962年生まれ。モビリティジャーナリスト。移動や都市という視点から自動車や公共交通を取材。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。著書に『富山から拡がる交通革命』(交通新聞社新書)。

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