富山港線はなぜ「日本初のLRT」になりえたのか 2006年に路面電車化、鉄道路線として開業100年

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ここまで書いてきた特徴は、おおむね芳賀・宇都宮LRTに受け継がれた。富山ライトレールが定義づけした「日本のLRT」を、全線新設とすることでレベルアップさせたのが、芳賀・宇都宮LRTではないかと思っている。

地上駅時代の富山駅
地上駅時代の富山駅と富山駅北電停(筆者撮影)

その後富山市では、2009年に市内電車の環状線が復活すると、2020年には富山ライトレールと市内電車が、高架化が完成した富山駅の下で接続し、富山港線の全電車が市内電車に乗り入れるようになった。

約77年ぶりに運営が「里帰り」

このとき富山ライトレールは富山地方鉄道と合併し、富山港線は約77年ぶりに富山地方鉄道の路線に戻った。車両形式もTLRが取れて0600形となった。日本のLRTの代名詞的存在だった富山ライトレールという名前を、あっさり手放したことに驚かされた。

よって表面上はLRTらしさが薄れたような感じもするが、実際は環状線も低床車両、バリアフリー、トータルデザイン、インファンド工法が導入されており、市内電車では低床車両T100形への置き換えが進むなど、LRTの考え方は着実に浸透している。

富山軌道線
富山駅近くの併用軌道を行く環状線用9000形(筆者撮影)
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