富山港線はなぜ「日本初のLRT」になりえたのか 2006年に路面電車化、鉄道路線として開業100年
富山港線は1924年7月23日、富岩鉄道という独立した民営鉄道として開業し、1941年に富山地方鉄道(当時は富山電気鉄道)に買収され、富岩線となっている。富岩という名前は、富山駅と港のある岩瀬地区を結んでいたことを意味している。
当時は鉄道事業者が乱立しており、会社間の競争が激しくなっていた。これを受けて国では、合併などによって健全な発達を目的とした「陸上交通事業調整法」を施行していた。その結果富山県内では、国有を除くすべての鉄軌道が富山地方鉄道になった。
ところが同じ頃、戦時体制を受けて「陸運統制令」が施行・改正されたことで、民営鉄道の国有化の動きが起こり、1943年に富岩線は富山港線として国有化された。富山港へ直結しており、沿線に工場が並んでいたことが、買収の理由とされた。
「存続か廃止」以外の選択
国鉄富山港線としての時代は長く、そのままJR西日本に引き継がれた。ただし高度経済成長期に沿線にあった大学や工場が移転し、マイカーが普及したこともあって、利用者は減少しており、1970年には1日35本だった本数は、しだいに減少していき、2004年には19本になった。
当然ながら廃止という話が出るようになった。その議論は、北陸新幹線の建設決定で表面化することになった。在来線を含めて、富山駅付近を連続立体交差化することが決まったからだ。富山港線のホームをわざわざ高架で用意するのは妥当なのかという意見が出はじめた。
通常なら存続か廃止かの二者択一になる。ところが富山市ではこれに、路面電車化という第3の選択肢が用意された。この舞台作りを主導したのが、2002年に富山市長に就任した森雅志氏だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら