富山港線はなぜ「日本初のLRT」になりえたのか 2006年に路面電車化、鉄道路線として開業100年
それ以外にも富山ライトレールには、日本初のLRTと呼べる部分がいくつかあった。
車両のTLR0600形は、万葉線MLRV1000形と基本的に同じで、熊本市交通局(熊本市電)9700型、岡山電気軌道9200形と基本設計を共有している。いずれも2車体連接構造のフルフラット(100%低床)車両だ。
ほかの事業者と違うのは、すべてこの車両で統一されたことである。よって駅や電停へのアクセスを階段ではなくスロープとしたこととあわせて、バリアフリー対応ができた。
車両からインフラ、広告・広報まで、すべてを統一イメージでまとめた「トータルデザイン」も、既存の日本の路面電車にはないものだった。こちらは東京に本拠を置く総合デザイン企業GKデザイングループと、地元の島津環境グラフィックスが手がけた。
バスと対面乗り換えも
走行音を抑えた新世代車両に加え、レールとコンクリートの路盤との間を樹脂で埋めた「インファンド工法」を取り入れ、快適性への配慮をしたことも注目だった。熊本市電の一部に採用されていたが、併用軌道のほぼ全線に投入したのはここが初めてだった。
途中駅で連絡するフィーダーバスをセットで導入したことも画期的だった。フィーダーとは枝という意味で、ライトレールという幹から伸びる路線であることからこう呼んだ。途中の蓮町駅と終点の岩瀬浜駅から1路線ずつが出ており、後者はLRTのホームの反対側にバスが停まる対面乗り換えとしている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら