何度目だっただろう。私たちは初老の夫婦と出会った。男性は私たちもよく耳にするコンピューター会社を退職した人で、日本を訪れた経験を持つ人だった。
私たちはすっかり彼らと意気投合し、お互いの家を行き来するようになった。そして、帰国の直前に、私たちを忘れないで、と寂しそうにいいながら、街の風景を収めた自作の絵を2人はプレゼントしてくれた。
とても懐かしい記憶だ。すべての出会いは、たった1枚の図書館のチラシからはじまった。
「日本でも、図書館があんなふうになればいいのにね」
私はうなずいた。でもどうして、私たちは、図書館を<出会いの場>と考えないのだろう。
公共図書館と公民館が分離された理由
戦後の日本では、文部省(現在の文部科学省)の構想をGHQが修正するかたちで、公共図書館と公民館が分離された歴史を持つ。背景にあったのは、図書館業界からの強い反発、文部省への権限集中を恐れたGHQの思惑だった。
公民館には社会教育、成人教育の機能が備えられ、公共図書館には図書・資料サービスの提供が期待されることとなった。両者の機能分離は先進国ではめずらしいそうだ。
私自身、祭りをはじめとするさまざまなイベントはもちろん、小さな集会や毎月の部会に至るまで、地区の公民館が地域活動の拠点であることを知っている。住民と住民がつながりあう場所は、公共図書館ではなく、地区公民館だ。
だが、地区公民館を軸とした活動に参加するには、そもそもの話、地域の人間関係に加わっていなければならない。東京からやってきた人たちは、そうした輪に加われないし、加わろうと思っても、自治会に入り、行事のすべてに関わることをわずらわしく思う人も多い。
また、地区公民館は、それぞれの自治会ごとに設置されているから、地区と地区の垣根を越えるような活動につながりにくい。市民的な一体性を育むのではなく、むしろ、各地域の分断性、割拠性の原因となっている。
私や連れ合いにとって、地区公民館は、欠かすことができない施設だ。だが、セクショナリズムに陥るのではなく、地区の垣根を越えたつながりを創造するために、公共図書館を活用することはできないだろうか。
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