像が「55万円で落札」"金次郎"の謎を解いてみた 「歩きスマホ」助長の真相と見直されるSDGs精神

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「当初、薪を背負って歩く像を検討しましたが、尊徳記念館(小田原市)の資料の中に『金次郎の座っている絵』を発見。座像を選定しました」

先の田中さんは「本は座って読むほうが自然ですよね」と言って、笑う。

座った金次郎を描いた古い掛け軸はいくつも残っているそうで、金次郎少年は実際に「本を読みながら歩いていたわけではないだろう」と言う。

「少年時代の金次郎について、中国の古典『大学』を口ずさみながら歩いた、という弟子の記述が残っています。後年、その話を画家が膨らませて描き、それを元に立像がつくられるようになったのでしょう」(田中さん)

明治天皇のお気に入り

金次郎像の原型は、東京美術学校(現・東京芸術大学)で教鞭をとっていた岡崎雪声が1910(明治43)年に発表した、高さ約30センチの銅像といわれる。

「これを明治天皇がいたく気に入ってお買い上げになり、執務室の机に飾っていたそうです」(同)

その後、この逸話を知った神戸証券取引所の理事だった中村直吉が、1928(昭和3)年、昭和天皇の即位式を記念して地元の小学校などに金次郎像を寄贈。メートル法の普及も意図され、像の高さは1メートルだった。

これをきっかけに、金次郎像を小学校に建てるブームが全国で巻き起こった。

「銅器のまち」として知られる富山県高岡市は「金次郎像のふるさと」でもある。鋳造メーカー「平和合金」は、90年ほど前から金次郎像をつくり続けてきた。

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