像が「55万円で落札」"金次郎"の謎を解いてみた 「歩きスマホ」助長の真相と見直されるSDGs精神

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「二宮金次郎に詳しく関心がある方や、出身校に金次郎像があって思い入れがあるとか、皆さん、それぞれのご縁で興味を持っているという印象を受けました」(同市財産管理係の稲岡拓之さん)

二宮金次郎の出生地・神奈川県小田原市の報徳博物館の田中修学芸員は、「自治体が金次郎像を売却するのは非常に珍しい」と言う。

博物館名の「報徳」とは、二宮尊徳が道徳と経済の両立を説いた日本式経営の源流で、渋沢栄一、豊田佐吉、松下幸之助、稲盛和夫など、名だたる実業家や経営者が影響を受けた。

金次郎像は減っている?

金次郎とは、江戸時代末期に荒廃した農村を立て直した「再生請負人」だと、田中さんは言う。

「山で柴(燃料にする木の枝)を拾い、小田原の街で売るなどして、24歳の若さで両親の死去で失った家や田畑を取り戻した。それを小作人の耕作地にあて、自身は武士の屋敷で働いて現金収入を得た」

開墾して数年間は年貢が免除になった水田で収穫した米や金の貸し付けを行い、資産運用にも努めた。そうした金儲けのノウハウを惜しげもなく他の人に伝える気前の良さもあり、人脈を広げた。

「たぐいまれな経営手腕が買われ、晩年は幕臣に登用され、疲弊した農村の自力再建に取り組んだ。今であれば、起業や金融の教育に金次郎を取り上げてもいいかもしれない」(田中さん)

同博物館はやむを得ない事情で行き場を失った金次郎像を引き取り、必要とする団体などに渡す仲介も担ってきた。

少子化にともなう小学校の統廃合などで金次郎像が減少している、という報道を目にするようになった。

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