「死ぬ権利」フランスで議論が進んでいる背景 高齢化が進む日本ではタブー視が続くが…

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ヨーロッパではそれぞれの国が多様な法的枠組みを採用している。一方には、あらゆる形態の安楽死を禁止するアイルランドがあり、他方には安楽死を非常に幅広く認めるベルギーがある。

例えば、ベルギーでは鬱病に悩む青少年も安楽死の対象となっている。全般的に、ヨーロッパでは「死ぬための手助け」を受ける患者の権利への支持が拡大する傾向にある。スペインやポルトガルのようなカトリックの国々でさえ安楽死を認めている。

「死ぬ権利」の議論は日本ではタブーか

日本はこの問いによって最も影響を受ける国の1つだ。日本は急速に高齢化(すでに人口の29%が65歳以上となっている)しつつあると同時に、終末期に対処するための医療インフラは不足している。

例えば、集中治療室(ICU)の病床数は比較的少ない(1000人あたりの病床数は14.4だが、OECDの平均値は16.9だ)。だが、日本ではこの問いに関する公の議論は始まっていない。この身勝手で卑怯な沈黙の中で、医師と患者は残酷にも放置され続けている。そして彼らの行動には法的な影響が及ぶ可能性がある。

人生の終わりに関するタブーはすでに日本で暮らす人々にとって重い負担となっている。日本人の中にはすでに安楽死を求めてスイスへ行く人もいる。

「日本の個人が死の自発的幇助を受けるために外国に行くという違法な事件がすでに起きている。これを見過ごすことはできない。今まさに苦しみながら生きている人々がいるということを忘れてはならない」と、2023年に医療の倫理的側面に関する主要メディア『BMC Medical Ethics』に5人の日本人医師が書いている。

この論文で著者たちは「自発的幇助による死の法律制定に関する議論を今」行うことを求めている。調査によると、18%の日本人が末期患者となった場合には積極的な死を希望するとしている。作家のアンヌ・ベールは次のように書いている。「死について考えたからといって死ぬわけではない。死は私たちの生の一部だ」。

レジス・アルノー 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員

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Régis Arnaud

ジャーナリスト。フランスの日刊紙ル・フィガロ、週刊経済誌『シャランジュ』の東京特派員、日仏語ビジネス誌『フランス・ジャポン・エコー』の編集長を務めるほか、阿波踊りパリのプロデュースも手掛ける。小説『Tokyo c’est fini』(1996年)の著者。近著に『誰も知らないカルロス・ゴーンの真実』(2020年)がある。

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