「V字回復企業」と低迷企業、トップの決定的差 日本企業に「強いリーダー」がいない根本理由
これには、効率化が図られたことで個々のタスクが明確になり、無駄・無用の仕事をしなくてもよくなったというメリットがありました。その反面、個人と個人が分断され、「困ったときはお互い様」「互いの弱点をカバーし合う」など血の通った社内の人間関係が失われるという事態が生じたのも事実です。
管理職の在り方も、昭和のころは比較的鷹揚で個人の裁量に任せるタイプが多かったものが、「鷹揚では業績が上がらない」とばかりに個々にノルマを課して尻を叩くタイプが増えた。かくして仕事は「チームワーク」から「個人の戦い」へと様相が変わったのが平成という時代でした。
しかし、それも今では見直され始めています。特によく耳にするのが「管理職の仕事」の変化です。個々にノルマを課して尻を叩くというマネジメントは今や効力を失っている。その代わりに、チーム内のコミュニケーションを盛んにし、メンバー同士の間を取り持つことで全員のやる気を高めるといった管理・調整役が管理職の主な仕事になってきているようです。
そうなると、必ずしも「仕事で実績を出した人」が優れた管理職になれるとは限りません。セールス・マーケティング部で実績を挙げた人を管理職に据えたところ、マネージャーの適性がないことが判明した。コーチをつけてトレーニングを試みるも、結局は会社を去ってしまった。これは本書で紹介されているエピソードです。昔から野球の世界には「名選手は名監督に非ず」という言葉がありますが、仕事も同様、プレイヤーとしての実務能力と、マネージャーとしての管理・調整能力はまったく別の能力なのです。
日本企業、失敗の本質は機動力の欠如
かつて日本では、管理職といえば叩き上げで出世していった先に準備されているポストでした。しかしプレイヤーとしての実務能力とマネージャーとしての調整能力が違うとなれば、マネージャーという仕事を「プレイヤーの延長線上にあるもの」として考えるのではなく、プレイヤーとは別個に「マネージャーという専門職」があると考えたほうが妥当でしょう。調整能力に長けている人は、たとえ専門職のスキルが高くなくても、立派に管理職を務めることができるというわけです。
今や、みな一様に出世を目指し、一部の人たちが課長に、さらに一部の人たちが部長になるという昭和のころのピラミッド構造は崩れつつあります。同期でも管理職となって管理・調整能力を発揮する人と、ずっと現場で実務能力を発揮し続ける人とにキャリアパスが分かれるケースも増えてきているようです。
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