池袋という街だから見つかる「銘柄発掘のヒント」 コロナ禍でも「成長業種」の兆しをいち早く発見
その実験店が成功して、本格展開しようとなったとき、次に出店する候補地として挙がるのが池袋や新宿だろう。
そうであれば新宿を定点観測してもいいのだが、私にとって新宿は広すぎる。数時間で回りきれないし、新宿という街は懐が深い。西新宿はビジネス街や電気街があるし、歌舞伎町は風俗街、3丁目は伊勢丹をはじめとした大型店が集積し、2丁目には独特な嗜好を持った人が集まり……エリアによって個性や集う人が違う。
街の広さ、人の集まり具合、集まる人の感度、街のごった煮感、企業が出店する早さなど、さまざまな面でちょうどいいのが池袋だと思う。
コロナショックの驚異的な「速さと深さ」
そんな池袋から人を消し去ったのがコロナ禍だった。
コロナショックで株式市場が大暴落した20年3月、私は京都・龍安寺にいた。石庭で有名な日本を代表する禅寺だ。しかし、暴落する株価を見ながら私はスマホで株アプリを操作していた。
「このままでは死んじゃう……!」
暴落により信用維持率が70%台まで低下していたからだ。信用維持率が30%を割り込むと「追証(追加証拠金)」の入金が必要になる。私のキャッシュ(現金)比率はいつもほぼゼロ。追証を求められても入金できる現金はない。
追証を入れられないと保有株を切られてしまうが、追証が発生するほどの暴落の底で売らされるのはたまらない。絶対に避けたい事態だ。
「信用維持率をせめて90%台に戻さなければ」
そう思い、信用取引で買ったポジションを処分していった。かのスティーブ・ジョブズも眺めながら思索にふけった石庭だというのに、私は煩悩と邪念に心を支配されていた。
だがその投資行動は結果的に大間違いだった。龍安寺で処分した平和不動産は底値から2.8倍へ、スシローはコロナ禍でのテイクアウト需要にうまく対応したことから4.3倍へと急騰していった。そのまま握っていれば、今頃、資産は10億円へと達していただろう。
なぜ慌てて処分せざるを得なかったのか、信用維持率が70%台へ低下する前に対応できなかったのか? 原因はコロナショックの「速さと深さ」だ。
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