大河や映画話題「安倍晴明」伝説と現実のギャップ 数々の作品、令和の今でもファンが多い背景
それによると、晴明の父は安倍保名であり、先祖は阿倍仲麻呂とされています。仲麻呂は、遣唐使の留学生として唐国に渡り、玄宗皇帝に重用されたことで、日本への帰国を果たせなかった人物として有名です。
この『物語』では、仲麻呂は玄宗皇帝と対立し、幽閉され、断食したことで、亡くなります。そして仲麻呂は死後、鬼になったといいます。
仲麻呂が亡くなった翌年には、吉備真備が遣唐使として唐に入りますが、玄宗皇帝から難題を課された真備を、「鬼」の仲麻呂が助けることになるのです。
仲麻呂の助力により、真備は無事に日本に帰ることができました。玄宗皇帝から多くの宝物を賜った真備。宝物の1つに『金烏玉兎集』という書物が含まれていました。これは、陰陽道の秘伝書です。
日本に帰国して、出世した真備は、恩人ともいうべき阿倍仲麻呂の子孫に恩返しをしたい、と考えるようになります。そして『金烏玉兎集』は、摂津国の阿倍野に住む、仲麻呂の子孫に託されることになるのです。
安倍晴明の母親は狐だった?
しかし、せっかく託された秘伝書に、晴明の父・保名が関心を示すことはありませんでした。
『金烏玉兎集』に興味を持って、勉強し始めたのは、「安倍の童子」こと安倍晴明だったのです。
『物語』によると、晴明の母は狐だったとされます。しかもたんなる狐ではなく、信太明神の化身。晴明は「神の子」であったというのです。晴明が『金烏玉兎集』という秘伝書を読みこなし、陰陽道を習得できたのも「神の子」であったからでしょう。
さて『物語』には、こんなエピソードも描かれています。晴明は、村上天皇の病の要因を、カラスが話す噂話を理解したことにより突き止めるのです。その功により、晴明は陰陽寮トップである陰陽頭(おんようのかみ)に抜擢されたばかりか、易暦博士および縫殿頭の官職に任命されました。やっと真備から仲麻呂への恩返しが、果たされたと言えましょう。
ところで、江戸時代前期に成立した『物語』は、晴明の母を神の化身の狐としていました。
もちろん、これは虚構であり、「物語」にすぎないでしょう。その一方で、中世後期には、晴明を狐の子とする逸話も生まれていました。いや、母が狐どころか、父も母もいない、化生の者(化け物)との噂も、庶民の間で広がっていたのです。
それは先ほどのエピソードにもあったとおり、晴明が鳥獣が語る言葉を理解し、天皇を苦しめる病の根源(霊の祟り)を治すという、特殊能力の使い手と見られていたからこそ、だったと思われます。
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