裸の少女をミキサーで「おぞましいアート」の背景 漫画やアニメの世界でも不健康な主張が台頭
「機動戦士ガンダム」のテレビアニメの放送が始まったのが1979年です。ご存じの通り、主人公のアムロ・レイは決して勇ましいヒーローではありません。父親との関係にトラウマを持ち、常に確信なきままガンダムに乗っています。
アムロだけではありません。司令官レベルの人間までが、ときに戦いの意味や組織に不信と屈託を抱き、グチを漏らしながら職務を遂行しています。ガンダムの登場人物はみな不安定な精神状態を抱えて先の見えない戦争に臨んでいます。かつての勧善懲悪型のヒーローものとはまったく違う世界です。が、それが多くの若者のメンタルに響き、共感を集めました。
ガンダムを見たあとで「マジンガーZ」(1972年放送開始)を見たら、妙に単純でアナクロなものに映ったのでした。ガンダムはその後さらに「新世紀エヴァンゲリオン」へと移り変わってゆきます。「新世紀エヴァンゲリオン」もまたおぞましい要素に満ちた世界です。
社会状況の変化に即応したアート
このような時代に至っては、もはや「限りない成長」とか「未来と夢」などと標榜するモダンは空論を語るピンボケなものとなり、そんなことをまだ人前でいうのはむしろ小っ恥ずかしいことに感じられました(余談ですが、したがって、よく「モダンですねー」と誉め言葉のつもりでいうことがありますが、じつはそれは古臭いですねとクサしていることになる可能性があります)。
おぞましいアートは、旧来の建前的な価値観だけでは説明し切れなくなった社会の状況に即応したものだったと考えられます。アーティストたちは明確に意識してであろうと、そうでなかろうと、多かれ少なかれ、時代の洗礼を浴びつつ作品を世に生み出しているのでしょう。
なお、これらのムーヴメントの理論的背景になったといわれているのが、ブルガリアの思想家ジュリア・クリステヴァの『恐怖の権力――〈アブジェクシオン〉試論』(1980年刊。日本語版:枝川昌雄訳、法政大学出版局、1984年)です。人間心理の根底にあるものを「アブジェクシオン」というキーワードで解読することが試みられています。
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