清少納言の「令和では炎上発言」に込められた真意 紫式部とはまるで異なる「宮仕え」への考え方
一方で宮仕えの生活では、なかなか上手くいかないこともあったようでした。
中宮が古今集(古今和歌集)を自分の前に置かれて、歌の上の句をお詠みになり「この歌の下の句はなんと言うか」と、清少納言たちに質問されたことがありました。
いつもはしっかり覚えていた歌も、なぜか、そのようなときに限って、ちゃんと出てこないのです。
宰相の君は、10首ほど答えたことがあるようですが、清少納言に言わせれば、それでも「よくできたとは、おせじにも言えない」そうです。
5つや6つ覚えているくらいでは「覚えておりません」と言上したほうがいいと思ったようですが、皆「それでは、中宮からのせっかくのご質問に、そっぽを向くようだ」と、もどかしい気持ちでいたようです。
誰も返答できない歌は、中宮がそのまま下の句まで詠まれました。本当はちゃんと覚えていた歌があっても、頭に浮かんでこないこともあるようで、そのようなときに清少納言たちは「私たちは、どうしてこうも頭が悪いんでしょう」と悔しがったそうです。
時には中宮からの「無茶振り」も
帝がお出ましになったときの、このようなエピソードもあります。中宮が「お硯の墨をすりなさい」と仰せになったのですが、清少納言は帝の姿に見惚れてしまい、夢中になってしまう有様でした。
その後、中宮からは白い色紙に「今すぐに頭に思い浮かぶ歌を書いてみなさい」とのご命令がありました。
清少納言にとっては、急な「無茶振り」に、御簾の外にいた大納言に「どうしたら、よいのでしょうか?」と尋ねるしかありませんでした。
大納言は「早く書いてお見せするのだ。男子が差し出がましく意見を述べるべきときではない」とアドバイスします。
中宮からは「さぁ、さぁ、何の思案もいりませんよ。難波津でも何でも構いません。今、頭に浮かんだ歌を書いてごらん」との再びの催促がありました。清少納言は顔を真っ赤にして、しばらく途方に暮れます。
このような中宮からの問いかけは、清少納言だけにあったのではありません。ほかの女房にもあったので、彼女たちは、春の歌や、桜の歌を書いたようですね。
中宮が「無茶振り」をしたのも、中宮から言わせれば、女房たちの機転を知りたかったのでしょう。
(主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・石田穣二・訳注『新版 枕草子』上巻(KADOKAWA、1979)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・渡辺実・校注『枕草子』(岩波書店、1991)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら