清少納言の「令和では炎上発言」に込められた真意 紫式部とはまるで異なる「宮仕え」への考え方
清少納言が「宮仕えは世間体が悪い」、と思う理由に「帝を始め、上達部、殿上人、五位、四位などの人達は、改めて言うまでもなく、女房をあらわに見ない人は、ほんの数えるほどしかいないだろう」ということを挙げています。女性たちが、先述した上の身分の人たちに加えて、下の身分も含めた、大勢の他人から見られることについては、世間体が悪いと言っているのです。
そのうえで清少納言は「宮仕えをした人を上などと呼んで、北の方として大切にされるような場合には、(北の方は)宮仕えで多くの人に顔を見られているため、奥ゆかしく感じられないのは、一応、尤もではあるけれども」とも書いています。
とはいえ、なにか特別なことがあったときに、参内したり、または賀茂の祭りの使いとして、行列に加わったりするのは「晴れがましく、名誉なことではないか」と清少納言は、女性たちが世間を広く知るよさを改めて語るのです。
そして、宮仕えの身分でありながら、家では妻としての役目も果たしている人は、いっそう「素晴らしい」と絶賛するのでした。
清少納言の宮仕え観とは異なる
このような清少納言の考え方は、「宮仕えは恥だ」と考えていた貴族たちとはまるで異なる考え方です。
清少納言の宮仕え観は、そうした考え方に少しは理解を示しながらも、女性たちの宮仕えを支持する、「宮仕え礼賛論」であるとも言えましょう。
また、宮仕えをすると友達とのやりとりも絶たないといけなくなる、と考えていたり、半分嫌々ながらも、女房暮らしをしている紫式部とも、異なる考え方です。清少納言が『枕草子』に記す女房としての生活には、それほど暗さはないように思われます。
例えば、清涼殿の東北の隅にある障子に描かれているさまざまな絵(荒海、奇怪な生き物)を見て「まぁ、嫌だ」などと同僚と笑う話からは、楽しそうな様子が伝わります。
また、中宮(定子)にも懸命に仕えようとします。紫式部の日記にも、自らが仕える中宮(彰子)をほめる場面がありましたが、清少納言の日記にも「中宮様が几帳を押しやって、簀子(すのこ)との境の御簾ぎわまでお出ましになっているご様子など、ただもう理屈もなにもなく、素晴らしいお姿だ」と絶賛しています。
中宮(定子)に仕えるほかの女房も、中宮のその姿を見て、心にある憂いを忘れるほどであったと言います。
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