ポーランド政府が隠した、難民の「不都合な真実」 強制送還されるか、極寒の森の中を彷徨うか…
彼らはそれまでも、そうしたプロパガンダを利用することで、選挙に勝利してきたので、その時も彼らの支持者に向けてアピールをして、自分たちに一票を投じてもらおうと考えていたのでしょう。
でも彼らはやりすぎたんでしょうね。そのキャンペーンがあまりにも大げさだったために、民衆は何だか変だぞと気付いてしまった。
自分の目で見て、自分で判断したい、何が真実か見極めたいという方が増えて、結果的にこの作品への関心が高まって。こういう作品にしては非常に高い興行成績を収めることができた。
ある意味、逆説的に政府がわたしたちの作品のプロモーションをしてくれた形となりました。おまけに彼らはその後、選挙にも負けてしまった。その結果をこの映画がもたらしたというわけではないですが、人々の目が人道的な視点に変わってきたというところで、多少はこの映画が果たした役割もあったのではないかと自負しています。
手遅れになる前に描きたかった
――この企画を起ちあげた頃は、右派政権が力を持っていた時期ですが、そんな中でも、この題材を取りあげなければと思ったのは、どのような思いがあったのでしょうか?
それはやはりここで行われていることに対する怒りであったり、心配であったり、ある種の義務感のようなものでしょうね。
今つくらなければならない、という思いに駆られました。わたしが近年つくってきた映画は、「ホロコースト」や、「ホロドモール」というスターリンがウクライナで行った犯罪行為など、20世紀に起きた人類に対する犯罪を描いてきたように思います。
1930年代、1940年代には人類に対する最悪の犯罪が起こりました(※そしてその前兆としてナチスに迫害されたユダヤ人難民を、ドイツ政府、ポーランド政府がともに排斥しあう、ということがあった)。その当時も、蛇の卵(卵のときから蛇の姿は透けて見えているという、不吉な予兆の例え)が成熟していくような感覚がありましたが、それと同じような感覚を今、自分はヒシヒシと感じているんです。
このままだと現代にも恐ろしいモンスターが生まれたり、あるいはヨーロッパのような、発展していると言われているような地域や国が、最も冷酷なプロパガンダを受け入れてしまうのではないかという懸念があります。
ですから手遅れになる前に、まだわれわれに選択肢があるうちに、現代のわれわれの状況を描かなければ、という思いがありました。
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