黒田日銀総裁と高橋是清の「類似点」とは? ストラテジストの市川眞一氏に聞く(後編)

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高橋は「世間の一部にはどしどし公債を発行すべしと論ずる者もあるが、是は欧州大戦後の各国の高価なる経験を無視するものである」とも述べた(「昭和財政史」に引用された1935年東京朝日新聞に掲載された声明)

――米国はようやく利上げが視野に入ってきましたが、日本銀行はまだ追加緩和の是非が議論されるなど、出口なき状態です。

率直に言って、この金融緩和は「出口なき緩和」と言えるのではないか。最後は、物価上昇率を2%で安定させるよりも、ハイパーインフレをどのように止めるかを考えなければならないかもしれない。

安倍政権下の金融政策については、よく高橋財政との類似性が指摘されている。

1929年に米国市場を襲った「暗黒の木曜日」の後、世界は深刻なデフレに陥ったが、日本では、1931年に高橋是清が7回目の蔵相に就任、財政の拡張と日銀による国債の全額引き受けを実施した。その成果により、1934年頃には、日本は世界で唯一デフレから脱却したわけだ。しかしながら、財政の縮小を図って軍部の反発を買い、1936年の2・26事件で青年将校ら暗殺された。アベノミクスの先例として、語られることは少なくない。

高橋是清の恐れていたこと、黒田総裁も共有

もっとも、この話には、ほとんど語られていない部分がある。当時、日銀は国債を全額引き受けてはいたが、売りオペによって全て市中で売却していたのだ。つまり、日銀は国債を抱え込んでいなかった。高橋財政は、この点において、今の政策とは一線を画す。高橋が保有を前提としないにも関わらず、日銀に国債を全額引き受けさせたのは、高橋の経験から来ているのではないか。

 彼は、米国に留学したつもりが奴隷として売り飛ばされるなど、若い頃にかなり苦労されたようだ。ただし、その成果で流暢な英語を身に付け、日露戦争の際、ロンドン、ニューヨークで戦費調達のための国債売却の重責を担った。この時の経験から、国債の発行時と買い手が見つかる時期に時間差が生じること熟知しており、世界恐慌の際、日銀に一時的に引き受けさせて、買い手を探す時間を稼いだのだろう。当時は債券市場が未成熟だったので、こうした手法を編み出したのではないか。

大蔵省が編纂した昭和財政史の戦前編には、高橋のコメントが残されている。当時、高橋は、「公債が一般金融機関等に消化されず、日本銀行背負込みとなるやうなことがあれば、明かに公債政策の行詰りであって悪性インフレーションの弊害が現はれ、国民の生産力も消費力も共に減退し生活不安の状態を現出するであらう」(原文)と語っていた。高橋が卓越した財政家、政治家だったことを如実に示しているのは、中央銀行に負わせたリスクを十二分に認識し、自らが一線を越えることがないよう、自らを厳しく律していたことだろう。推測するに、黒田総裁も高橋財政の真の姿をご存知なのではないか。

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